Category : 神話・神社仏閣
昨日、横浜・桜木町駅からほど近い場所に位置する伊勢山皇大神宮に行ってきました。
「皇大神宮」という名前からも分かるように、明治時代の初め、三重の伊勢神宮から天照大神を勧請した神社で、港町横浜の原点ともなった由緒ある神社ですね。一般の神社ではなかなかお目に掛かれない、古代の神社の雰囲気を漂わす「注連(しめ)鳥居」がとても特徴的です。境内からは、横浜みなとみらいのシンボル、ランドマークタワーがよく見えます。
伊勢山皇大神宮



横浜在住の私としては、何かにつけて訪れる機会の多い神社なのですが、今回はお参りが主な目的ではなく、神社検定(神道文化検定)弐級の検定試験に挑戦してきました。


以前の記事でも書きましたが、昨年受けた参級の試験の会場は、東京・渋谷区の皇典講究所……ではなかった、國學院大學の渋谷キャンパスだったのですが、今年から新たに横浜会場として伊勢山皇大神宮が追加されたことから、今回、馴染のある皇大神宮の方で試験を受けて来ました(←弐級の試験を受けた人なら「皇典講究所」分かりますよね?)
今回の試験の感触ですが、やはり昨年受けた参級の試験よりも内容が難しく、ほぼ制限時間一杯まで掛かってしまいましたが、手応えとしてはまずまずでした。今回の神社・神道の歴史に関する問題は、ほとんど大学受験の日本史に近いような内容のようで、歴代の天皇や、神道に関連した諸人物、著作名を覚えるのが、なかなか大変でした。とはいえ、合否ラインの7割以上は確実に回答できたので、7月下旬の試験結果のお知らせを、首を長くして待ちたいと思います。
今年の神社界の最大の話題といえば、20年に一度の伊勢神宮の式年遷宮です。そんなこともあって、今年の弐級の試験では、式年遷宮を通じて行なわれる祭祀の内容を確認する問題が、数多く出題されました。そういえば試験当日の午前中、テキストには掲載されていない今年の「遷御(せんぎょ=御神体を本宮から新宮に移す、式年遷宮の中で最も重要な祭祀)」の実施日を確認していなかったのをふと思い出し、急いでネットで検索、内宮が10月2日、外宮が10月5日であることを覚えておきました。
予想は見事的中、試験問題の中に、内宮の遷御の日程を問う問題が出題されていました。これはツイている!と思ったのも束の間、選択肢には実施日だけでなく開始時間まで含まれていました、ガ~ン。
午後6時開始か午後8時開始のどちらか1つ…。ここはもう勘を頼るしかなく、午後8時の方を選びました。何とも詰が甘かった…と反省しきりで試験を終え、帰り際、会場にいた巫女さんから手渡された伊勢山皇大神宮のパンフレットを何気なく眺めていたところ、冊子の裏表紙に、遷御の日程と時間(10月2日午後8時開始)が掲載されていました。たった1問ではあるのですが、かなり救われた気分でした。
以上、昨日の神社検定の受験の様子についてお話ししましたが「表があれば裏がある」のが世の常。毎月『ムー』を購読し、飛鳥昭雄さんの著書を読んでいる自分としては、一般の世の中の人たちには全く公表されていない、神社界の裏の動向に大変興味があります。
先ほどから、伊勢神宮の式年遷宮の話しをしてきましたが、先月発売された『ムー』6月号に、「ジョー・マクモニーグルが伊勢神宮の地下を透視!!」という記事が掲載されていました。かつてテレビの企画番組で、リモートビューイング(遠隔透視)の特殊能力を駆使して、行方不明の人物を探し出すサイキックとして登場し、その名前を知っている人はかなりいるかと思います。
その彼が今回、伊勢神宮内宮の御正殿の地下で内々に保管されている、今上天皇でさえ見ることが許されない神宝を透視するということで、興味深々で記事を読みました。ハイグレードなステンレス製のトランクの中に、絹で覆われた神宝が3つ(あるいは4つ?)、詳細は是非、実際の記事を読んでいただきたいのですが、そのうちの1つが、かつて飛鳥昭雄さんが自著で明らかにした伊勢神宮内宮に隠された宝物の特徴と、かなり酷似しているとの指摘が記事中にありました。
実は以前、飛鳥さんのその著書を実際に読んだことがあり、超ド級の衝撃を受けたのですが、飛鳥さんの説とマクモニーグルの透視結果が一致したという事は、かなり信憑性が高い情報かと思われます。あまりに常識の範疇を超えており、一般の常識人からすると理解不能な領域の話しなのですが、実際に著書を読み進めると、飛鳥さんの説はどれも非常に理路整然としていて、溜飲が下がる部分がとても多くあります。ちなみに、飛鳥さんのその著作はこちらです。
失われたキリストの聖十字架「心御柱」の謎 (ムー・スーパーブックス)
飛鳥さんから発信される神社情報に関しては最近、もう1つ気になる話題がありました。熱田神宮に保管されている三種の神器の1つ、草薙剣(くさなぎのつるぎ)に関して、極秘のうちに熱田神宮を離れて、伊勢神宮に関連するお宮に移されるはずだ、という主張を、飛鳥さんは数年前から発信されていました。
昨年の9月、たまたま妻と一緒に名古屋旅行で熱田神宮を参拝する機会がありました。


参拝時には全くその様子は見られなかったのですが、昨年末、熱田神宮・祭祀1900年を機に、それまで禁足地だった本殿奥の場所が突然、一般公開されることになったそうです。一部、ニュースなどでも報道されていたようです。
熱田神宮 厳かに創祀1900年大祭(中外日報/2013年5月10日)
この事実、つい最近まで全く気付かなかったのですが、これまで一般の参拝者の立ち入りが厳しく制限されていたこの禁足地の公開こそ、そこに安置されていた草薙剣の移管が完了した明らかな証拠だと、飛鳥さんは主張されています。改めてネットで情報を色々と調べたところ、実際に熱田神宮に足を運び、公開された禁足地と、これまで目にすることの出来なかった神社の様子を、とても詳しく解説されている方がいました。こんな状況になっていたとは…、とても参考になります。
熱田神宮で解かれた封印!一之御前神社
伊勢神宮内宮の隠された神宝といい、熱田神宮から移された(?)草薙剣といい、すべての鍵を握っているのは伊勢神宮の別宮、三重県志摩郡磯辺町に鎮座する伊雑宮(いざわのみや)のようです。今回の弐級の検定試験の中でも1題、伊雑宮に関する問題がチラッと出題されていましたが、当然ながら、伊雑宮に関する“隠された真実”については一切、テキストでは言及されていません。いずれにせよ、今年の伊勢神宮の式年遷宮を契機に、神社界では何やらとてつもなく巨大な動きが、一般の日本人には知られないような水面下で、着々と進められているようです。
皇大神宮別宮 伊雑宮
…と、少々壮大な話しをした後ではありますが、ここ半月ほど、神社検定の試験勉強もあって、ブログの更新がかなり遅れ気味になってしまいました。記事にしたいネタが溜まっていますので、今後数日は出来るだけ頻繁に更新して行きたい次第です。お楽しみに。
「皇大神宮」という名前からも分かるように、明治時代の初め、三重の伊勢神宮から天照大神を勧請した神社で、港町横浜の原点ともなった由緒ある神社ですね。一般の神社ではなかなかお目に掛かれない、古代の神社の雰囲気を漂わす「注連(しめ)鳥居」がとても特徴的です。境内からは、横浜みなとみらいのシンボル、ランドマークタワーがよく見えます。
伊勢山皇大神宮



横浜在住の私としては、何かにつけて訪れる機会の多い神社なのですが、今回はお参りが主な目的ではなく、神社検定(神道文化検定)弐級の検定試験に挑戦してきました。


以前の記事でも書きましたが、昨年受けた参級の試験の会場は、東京・渋谷区の皇典講究所……ではなかった、國學院大學の渋谷キャンパスだったのですが、今年から新たに横浜会場として伊勢山皇大神宮が追加されたことから、今回、馴染のある皇大神宮の方で試験を受けて来ました(←弐級の試験を受けた人なら「皇典講究所」分かりますよね?)
今回の試験の感触ですが、やはり昨年受けた参級の試験よりも内容が難しく、ほぼ制限時間一杯まで掛かってしまいましたが、手応えとしてはまずまずでした。今回の神社・神道の歴史に関する問題は、ほとんど大学受験の日本史に近いような内容のようで、歴代の天皇や、神道に関連した諸人物、著作名を覚えるのが、なかなか大変でした。とはいえ、合否ラインの7割以上は確実に回答できたので、7月下旬の試験結果のお知らせを、首を長くして待ちたいと思います。
今年の神社界の最大の話題といえば、20年に一度の伊勢神宮の式年遷宮です。そんなこともあって、今年の弐級の試験では、式年遷宮を通じて行なわれる祭祀の内容を確認する問題が、数多く出題されました。そういえば試験当日の午前中、テキストには掲載されていない今年の「遷御(せんぎょ=御神体を本宮から新宮に移す、式年遷宮の中で最も重要な祭祀)」の実施日を確認していなかったのをふと思い出し、急いでネットで検索、内宮が10月2日、外宮が10月5日であることを覚えておきました。
予想は見事的中、試験問題の中に、内宮の遷御の日程を問う問題が出題されていました。これはツイている!と思ったのも束の間、選択肢には実施日だけでなく開始時間まで含まれていました、ガ~ン。
午後6時開始か午後8時開始のどちらか1つ…。ここはもう勘を頼るしかなく、午後8時の方を選びました。何とも詰が甘かった…と反省しきりで試験を終え、帰り際、会場にいた巫女さんから手渡された伊勢山皇大神宮のパンフレットを何気なく眺めていたところ、冊子の裏表紙に、遷御の日程と時間(10月2日午後8時開始)が掲載されていました。たった1問ではあるのですが、かなり救われた気分でした。
以上、昨日の神社検定の受験の様子についてお話ししましたが「表があれば裏がある」のが世の常。毎月『ムー』を購読し、飛鳥昭雄さんの著書を読んでいる自分としては、一般の世の中の人たちには全く公表されていない、神社界の裏の動向に大変興味があります。
先ほどから、伊勢神宮の式年遷宮の話しをしてきましたが、先月発売された『ムー』6月号に、「ジョー・マクモニーグルが伊勢神宮の地下を透視!!」という記事が掲載されていました。かつてテレビの企画番組で、リモートビューイング(遠隔透視)の特殊能力を駆使して、行方不明の人物を探し出すサイキックとして登場し、その名前を知っている人はかなりいるかと思います。
その彼が今回、伊勢神宮内宮の御正殿の地下で内々に保管されている、今上天皇でさえ見ることが許されない神宝を透視するということで、興味深々で記事を読みました。ハイグレードなステンレス製のトランクの中に、絹で覆われた神宝が3つ(あるいは4つ?)、詳細は是非、実際の記事を読んでいただきたいのですが、そのうちの1つが、かつて飛鳥昭雄さんが自著で明らかにした伊勢神宮内宮に隠された宝物の特徴と、かなり酷似しているとの指摘が記事中にありました。
実は以前、飛鳥さんのその著書を実際に読んだことがあり、超ド級の衝撃を受けたのですが、飛鳥さんの説とマクモニーグルの透視結果が一致したという事は、かなり信憑性が高い情報かと思われます。あまりに常識の範疇を超えており、一般の常識人からすると理解不能な領域の話しなのですが、実際に著書を読み進めると、飛鳥さんの説はどれも非常に理路整然としていて、溜飲が下がる部分がとても多くあります。ちなみに、飛鳥さんのその著作はこちらです。
失われたキリストの聖十字架「心御柱」の謎 (ムー・スーパーブックス)
飛鳥さんから発信される神社情報に関しては最近、もう1つ気になる話題がありました。熱田神宮に保管されている三種の神器の1つ、草薙剣(くさなぎのつるぎ)に関して、極秘のうちに熱田神宮を離れて、伊勢神宮に関連するお宮に移されるはずだ、という主張を、飛鳥さんは数年前から発信されていました。
昨年の9月、たまたま妻と一緒に名古屋旅行で熱田神宮を参拝する機会がありました。


参拝時には全くその様子は見られなかったのですが、昨年末、熱田神宮・祭祀1900年を機に、それまで禁足地だった本殿奥の場所が突然、一般公開されることになったそうです。一部、ニュースなどでも報道されていたようです。
熱田神宮 厳かに創祀1900年大祭(中外日報/2013年5月10日)
この事実、つい最近まで全く気付かなかったのですが、これまで一般の参拝者の立ち入りが厳しく制限されていたこの禁足地の公開こそ、そこに安置されていた草薙剣の移管が完了した明らかな証拠だと、飛鳥さんは主張されています。改めてネットで情報を色々と調べたところ、実際に熱田神宮に足を運び、公開された禁足地と、これまで目にすることの出来なかった神社の様子を、とても詳しく解説されている方がいました。こんな状況になっていたとは…、とても参考になります。
熱田神宮で解かれた封印!一之御前神社
伊勢神宮内宮の隠された神宝といい、熱田神宮から移された(?)草薙剣といい、すべての鍵を握っているのは伊勢神宮の別宮、三重県志摩郡磯辺町に鎮座する伊雑宮(いざわのみや)のようです。今回の弐級の検定試験の中でも1題、伊雑宮に関する問題がチラッと出題されていましたが、当然ながら、伊雑宮に関する“隠された真実”については一切、テキストでは言及されていません。いずれにせよ、今年の伊勢神宮の式年遷宮を契機に、神社界では何やらとてつもなく巨大な動きが、一般の日本人には知られないような水面下で、着々と進められているようです。
皇大神宮別宮 伊雑宮
…と、少々壮大な話しをした後ではありますが、ここ半月ほど、神社検定の試験勉強もあって、ブログの更新がかなり遅れ気味になってしまいました。記事にしたいネタが溜まっていますので、今後数日は出来るだけ頻繁に更新して行きたい次第です。お楽しみに。
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4月の初め、上野の東京国立博物館(トーハク)で開催中の「大神社展」を見学しに行きました。以前のブログでも書いたように、今年の6月2日に神社検定(弐級)を受験する予定で、現在、分厚いテキスト2冊と悪戦苦闘している最中です。テキストを読むだけでは本当の知識は身につかない、実地での勉強が何より大事ということもあって、開催日早々に上野に足を運びました。
大神社展 東京国立博物館


実は今回のトーハク訪問には、もう1つ別の目的がありました。毎年春と秋の年2回、通常立ち入り禁止の博物館北側の庭園が期間限定で開放されます。以前から、歴史ある茶室を移築した日本庭園をじっくり鑑賞してみたいと思っていたのですが、今回、「大神社展」の見学日が庭園開放期間と重なったこともあって、トーハクに入館した後、まずは北側の庭園から見て廻ることにしました(庭園内にある建物や史跡の来歴については、以下に詳しく紹介されています。参考までに)
東京国立博物館 庭園・茶室
庭園内に移築されている建物や茶室の数々、いずれも昔の姿を留めて何とも風情があります。現在でも茶室は、お茶会などで利用できるそうです。自分もいつかは、お茶を嗜むことが出来るようになりたいものです。





庭園の中央には広い池があります、池越しに見える庭園の緑と茶室の風景、日本画の題材になりそうな素晴らしい景色です。



庭園見学を終えて、いよいよ「大神社展」へ。昨年10月、同じくトーハクで開催された「出雲展」を見学しに行った記事を書きました。前回の展覧会も勿論、文句なしに素晴らしかったのですが、今回は全国各地の有名な神社の宝物が大集合し、格段にスケールアップした展示内容でした。
入館時に受け取った案内チラシに「国宝・重文160件、神社パワー全開!」というキャッチコピーが載っていたのですが、実際に展示会場に入って納得、1つ1つの展示品がどれもが由緒のある品々ばかりで、パワー全開という言葉に偽りは無いと実感しました。まさに展示会場自体がパワースポットといった感じです。素晴らしい宝物の中でも、特に印象に残った品々をいくつか紹介しましょう。
特に壮観だったのは、私自身、これまでほとんど見たことの無い数多くの神像が、全国各地の神社から集められてズラリと並んでいた光景です。仏像に関しては、日本人なら誰もが馴染みがある像といえますが、神像となると、ほとんどお目に掛かることは無いかと思います。男神・女神・童形神・武装神・僧形神・子守神などなど、どの像を見ても、神と崇められた人たちの当時の様子(服装、髪形、服飾品など)を伺い知ることができて、とても興味深かったです。
展示品の中でも、際立って歴史を感じさせる宝物がありました。「七枝刀(しちしとう)」という鉄剣で、国宝です。奈良県の石上(いそのかみ)神宮の所蔵品で、4世紀、百済王から倭王に贈られたとされる剣だそうです。数年前、奈良旅行をした際に石上神宮に初めて参拝に行ったのですが、日本最古の神社の一つに数えられ拝殿が国宝という、何とも荘厳な雰囲気が漂う神社でした。石上神宮でも、特別拝観の時以外は、この七枝刀を見学することはできないとのこと。そういえば、現在勉強中の神社検定弐級のテキスト内に、石上神社の来歴と七枝刀が解説されていました。今回は貴重な実物を見学できて、またとない良い機会でした。
石上神宮 宝物
数多い展示品の中でも最も印象深かったのが、和歌山県・鞆淵八幡神社の「沃懸地螺鈿金銅装神輿
(いかけじらでんこんどうそうしんよ)」です。平安時代の12世紀に造られた神輿(おみこし)で、後堀川天皇の勅命により石清水八幡宮勧請の際に奉送されたと伝えられています。平安時代の神輿が、こんなに良い状態のまま現存しているとは…これは奇跡に近いです。実際に人を上に乗せて運べる位の大きさがあり、当初の神輿は、「ワッショイ、ワッショイ」と威勢よく担ぐようなモノではなかったことが分かります。現在に伝わる日本の神輿のルーツを見て取ることが出来ました。
沃懸地螺鈿金銅装神輿 粉河町内の文化財
今回の展覧会、個人的には神社検定の勉強をする上で、とても参考になりました。日本古来の神社や神道の奥深さを体験できる貴重な場ですので、色々な人にお勧めしたい次第です。ちなみに展覧会の見学後、「大神社展」のグッズ売り場でお土産を購入しました。これです(神社だけにジンジャー)。

トーハクの庭園、それに「大神社展」、両方ともに素晴らしかったのですが、実は今回、トーハクに向かう前に、上野公園周辺を色々と散策してきました。これまでの記事にも書いてきたように、最近、上野を訪れる機会が何度かあり(国立科学博物館のステンドグラスや、小林世征さんの紹介するパワースポットなど)、そこにある史跡の見学を通して上野の歴史を調べるうちに、江戸時代に開山した東叡山寛永寺と、それに深く関わった天海僧正の事績を、色々と知ることになりました。そんな初めて知った知識の確認も兼ねて今回、改めて上野公園周辺をじっくり散策してきました。次回の記事で紹介したいと思います。
大神社展 東京国立博物館


実は今回のトーハク訪問には、もう1つ別の目的がありました。毎年春と秋の年2回、通常立ち入り禁止の博物館北側の庭園が期間限定で開放されます。以前から、歴史ある茶室を移築した日本庭園をじっくり鑑賞してみたいと思っていたのですが、今回、「大神社展」の見学日が庭園開放期間と重なったこともあって、トーハクに入館した後、まずは北側の庭園から見て廻ることにしました(庭園内にある建物や史跡の来歴については、以下に詳しく紹介されています。参考までに)
東京国立博物館 庭園・茶室
庭園内に移築されている建物や茶室の数々、いずれも昔の姿を留めて何とも風情があります。現在でも茶室は、お茶会などで利用できるそうです。自分もいつかは、お茶を嗜むことが出来るようになりたいものです。





庭園の中央には広い池があります、池越しに見える庭園の緑と茶室の風景、日本画の題材になりそうな素晴らしい景色です。



庭園見学を終えて、いよいよ「大神社展」へ。昨年10月、同じくトーハクで開催された「出雲展」を見学しに行った記事を書きました。前回の展覧会も勿論、文句なしに素晴らしかったのですが、今回は全国各地の有名な神社の宝物が大集合し、格段にスケールアップした展示内容でした。
入館時に受け取った案内チラシに「国宝・重文160件、神社パワー全開!」というキャッチコピーが載っていたのですが、実際に展示会場に入って納得、1つ1つの展示品がどれもが由緒のある品々ばかりで、パワー全開という言葉に偽りは無いと実感しました。まさに展示会場自体がパワースポットといった感じです。素晴らしい宝物の中でも、特に印象に残った品々をいくつか紹介しましょう。
特に壮観だったのは、私自身、これまでほとんど見たことの無い数多くの神像が、全国各地の神社から集められてズラリと並んでいた光景です。仏像に関しては、日本人なら誰もが馴染みがある像といえますが、神像となると、ほとんどお目に掛かることは無いかと思います。男神・女神・童形神・武装神・僧形神・子守神などなど、どの像を見ても、神と崇められた人たちの当時の様子(服装、髪形、服飾品など)を伺い知ることができて、とても興味深かったです。
展示品の中でも、際立って歴史を感じさせる宝物がありました。「七枝刀(しちしとう)」という鉄剣で、国宝です。奈良県の石上(いそのかみ)神宮の所蔵品で、4世紀、百済王から倭王に贈られたとされる剣だそうです。数年前、奈良旅行をした際に石上神宮に初めて参拝に行ったのですが、日本最古の神社の一つに数えられ拝殿が国宝という、何とも荘厳な雰囲気が漂う神社でした。石上神宮でも、特別拝観の時以外は、この七枝刀を見学することはできないとのこと。そういえば、現在勉強中の神社検定弐級のテキスト内に、石上神社の来歴と七枝刀が解説されていました。今回は貴重な実物を見学できて、またとない良い機会でした。
石上神宮 宝物
数多い展示品の中でも最も印象深かったのが、和歌山県・鞆淵八幡神社の「沃懸地螺鈿金銅装神輿
(いかけじらでんこんどうそうしんよ)」です。平安時代の12世紀に造られた神輿(おみこし)で、後堀川天皇の勅命により石清水八幡宮勧請の際に奉送されたと伝えられています。平安時代の神輿が、こんなに良い状態のまま現存しているとは…これは奇跡に近いです。実際に人を上に乗せて運べる位の大きさがあり、当初の神輿は、「ワッショイ、ワッショイ」と威勢よく担ぐようなモノではなかったことが分かります。現在に伝わる日本の神輿のルーツを見て取ることが出来ました。
沃懸地螺鈿金銅装神輿 粉河町内の文化財
今回の展覧会、個人的には神社検定の勉強をする上で、とても参考になりました。日本古来の神社や神道の奥深さを体験できる貴重な場ですので、色々な人にお勧めしたい次第です。ちなみに展覧会の見学後、「大神社展」のグッズ売り場でお土産を購入しました。これです(神社だけにジンジャー)。

トーハクの庭園、それに「大神社展」、両方ともに素晴らしかったのですが、実は今回、トーハクに向かう前に、上野公園周辺を色々と散策してきました。これまでの記事にも書いてきたように、最近、上野を訪れる機会が何度かあり(国立科学博物館のステンドグラスや、小林世征さんの紹介するパワースポットなど)、そこにある史跡の見学を通して上野の歴史を調べるうちに、江戸時代に開山した東叡山寛永寺と、それに深く関わった天海僧正の事績を、色々と知ることになりました。そんな初めて知った知識の確認も兼ねて今回、改めて上野公園周辺をじっくり散策してきました。次回の記事で紹介したいと思います。
当日の最後の目的地、芝の増上寺に到着しました。芝周辺には今まで何度も来たことがあったのですが、増上寺の境内をじっくり見学するのは今回が初めてです。
浄土宗大本山 増上寺
まずは増上寺の顔とも言える山門(正式名称は三解脱門)を入ります。「三解脱門」とは3つの煩悩「むさぼり(貪欲)、いかり(瞋恚)、おろかさ(愚痴)」を解脱して極楽浄土に入る心をつくるための門だそうです。同じ浄土宗の総本山、京都の知恩院の三門も巨大でしたが、こちらの山門も見上げるほどの大きさです。


本堂に向かう前に、まずは境内を散策することに。まずは、境内の一番奥にある徳川将軍家霊廟へ。二代将軍の徳川秀忠公を初め、六人の将軍及び正室や子女が祀られています。かつての霊廟は、日光東照宮を凌ぐ壮麗さだったそうですが、空襲のため消失、現在の場所にまとめられたそうです。特別拝観の期間以外、中は非公開のため見学することはできません。墓所正面の門は旧国宝の鋳抜門。左右の扉には5つの葵紋と、その両脇には見事な龍が彫られています。


増上寺の北側、御成門寄りに西向聖観世音菩薩があります。小さなお堂には、たくさんの風車が吊されており、その横には、子育て地蔵がずらりと並んでいます。


境内の南の一画に熊野神社があります。正式名称は熊野三所大権現宮(ゆやさんしょだいごんげんぐう)。実は、私の産土神社(うぶすなじんじゃ)は葛飾区立石にある「熊野神社」で、熊野系の神社にはとてもご縁があります。増上寺の境内に熊野神社があるとは、これまで全く知りませんでした。これも何かのご縁のような気がします。熊野神社の眷属(けんぞく:神様の使いの動物)として有名な八咫烏が、手水舎の表面に彫られていました。



本殿の右横に「安国殿」という建物があります。この名称は、徳川家康の戒名“安国院殿”に因むそうで、家康の念持仏であった黒本尊をお祀りしています。お香に薫じられて真っ黒なところから「黒本尊阿弥陀如来」と呼ばれますが、通常は非公開、年3回の祈願会の時だけ御開帳されます。こちらの安国殿の中で、御守り等の土産物が販売されています。


次は鐘楼堂です。江戸三大名鐘の一つで、東日本では最大級とのこと。 江戸時代の川柳で「今鳴るは芝(増上寺)か上野(寛永寺)か浅草(浅草寺)か」と謳われています。都内近郊の多くの寺社の中でも、ここ増上寺の梵鐘で除夜の鐘を撞くと翌年の運気がアップするそうですよ。私はまだ撞いたことはありませんが…。


境内の奥には第14代将軍徳川家茂の正室、皇女和宮ゆかりの茶室、貞恭庵があります。和宮は先ほどの徳川家霊廟にも祀られていますね。幕末の動乱期に運命を翻弄された和宮の人生が偲ばれます…。

いよいよ本堂の「大殿(だいでん」)へ。本堂には阿弥陀如来、両脇壇に善導大師と法然上人の像が祀られています(本堂内の写真撮影はNGです)。中に足を踏み入れると、本堂内は極楽浄土を彷彿とさせる金色の世界…。暫くの間、堂内に置かれたイスに座り、本堂内に響く読経に耳を傾けました。


以上に紹介した他にも、本当に数多くの見所があって、じっくり境内を参拝すると半日はかかりそうな規模の大伽藍です。今回、改めて徳川家の菩提寺である増上寺の歴史と、その奥深さに触れることができました。

浄土宗大本山 増上寺
まずは増上寺の顔とも言える山門(正式名称は三解脱門)を入ります。「三解脱門」とは3つの煩悩「むさぼり(貪欲)、いかり(瞋恚)、おろかさ(愚痴)」を解脱して極楽浄土に入る心をつくるための門だそうです。同じ浄土宗の総本山、京都の知恩院の三門も巨大でしたが、こちらの山門も見上げるほどの大きさです。


本堂に向かう前に、まずは境内を散策することに。まずは、境内の一番奥にある徳川将軍家霊廟へ。二代将軍の徳川秀忠公を初め、六人の将軍及び正室や子女が祀られています。かつての霊廟は、日光東照宮を凌ぐ壮麗さだったそうですが、空襲のため消失、現在の場所にまとめられたそうです。特別拝観の期間以外、中は非公開のため見学することはできません。墓所正面の門は旧国宝の鋳抜門。左右の扉には5つの葵紋と、その両脇には見事な龍が彫られています。


増上寺の北側、御成門寄りに西向聖観世音菩薩があります。小さなお堂には、たくさんの風車が吊されており、その横には、子育て地蔵がずらりと並んでいます。


境内の南の一画に熊野神社があります。正式名称は熊野三所大権現宮(ゆやさんしょだいごんげんぐう)。実は、私の産土神社(うぶすなじんじゃ)は葛飾区立石にある「熊野神社」で、熊野系の神社にはとてもご縁があります。増上寺の境内に熊野神社があるとは、これまで全く知りませんでした。これも何かのご縁のような気がします。熊野神社の眷属(けんぞく:神様の使いの動物)として有名な八咫烏が、手水舎の表面に彫られていました。



本殿の右横に「安国殿」という建物があります。この名称は、徳川家康の戒名“安国院殿”に因むそうで、家康の念持仏であった黒本尊をお祀りしています。お香に薫じられて真っ黒なところから「黒本尊阿弥陀如来」と呼ばれますが、通常は非公開、年3回の祈願会の時だけ御開帳されます。こちらの安国殿の中で、御守り等の土産物が販売されています。


次は鐘楼堂です。江戸三大名鐘の一つで、東日本では最大級とのこと。 江戸時代の川柳で「今鳴るは芝(増上寺)か上野(寛永寺)か浅草(浅草寺)か」と謳われています。都内近郊の多くの寺社の中でも、ここ増上寺の梵鐘で除夜の鐘を撞くと翌年の運気がアップするそうですよ。私はまだ撞いたことはありませんが…。


境内の奥には第14代将軍徳川家茂の正室、皇女和宮ゆかりの茶室、貞恭庵があります。和宮は先ほどの徳川家霊廟にも祀られていますね。幕末の動乱期に運命を翻弄された和宮の人生が偲ばれます…。

いよいよ本堂の「大殿(だいでん」)へ。本堂には阿弥陀如来、両脇壇に善導大師と法然上人の像が祀られています(本堂内の写真撮影はNGです)。中に足を踏み入れると、本堂内は極楽浄土を彷彿とさせる金色の世界…。暫くの間、堂内に置かれたイスに座り、本堂内に響く読経に耳を傾けました。


以上に紹介した他にも、本当に数多くの見所があって、じっくり境内を参拝すると半日はかかりそうな規模の大伽藍です。今回、改めて徳川家の菩提寺である増上寺の歴史と、その奥深さに触れることができました。

先日、妻の実家に帰省の折、三嶋大社に初詣に行きました。正月三が日を過ぎた4日の金曜日に行ったのですが、予想以上の混雑ぶりで、大社周辺の道路も大渋滞でした。ここ数年、三嶋大社には、妻・義母・姪と私の4人で初詣に行くのが習慣となっていて、人混みの中、大社の主祭神である大山祇命(おおやまずみのみこと)と八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)に御参りをしてきました。
今回も参拝後は、皆でお御籤を引いたり、御守りを授かったりしました(ちなみに、御守りを「買う」というのは間違った言い方で、「授かる」というのが正しい表現ですね…)。姪っ子は例年通り、境内の出店で静岡名物の麩菓子「さくら棒」を買っておりました。



以前の記事でも少し触れたことがありますが、昨年の春、とある人から神社に関連する諸々の話しを伺う機会があり(=私が神社の勉強を始めようと思うきっかけとなった人です)、その際、三嶋大社を参拝する折に、大社から少し離れたある場所(2か所)を併せて訪問すると、参拝の効果が高まるので是非訪れてみるように、とアドバイスされました。そんな事もあって今年は、三嶋大社の参拝を済ませた後に、その場所に向かうことにしました。
①白滝公園の祠
三嶋大社から三島駅に向かう道すがら、水辺の小道があり、その途中に白滝公園という公園があります。その公園の一画に、小さな祠が建っています。私もかつて三島に住んでいた時、何度となくこの公園を訪れる機会があったのですが、その祠の存在は全く意識したことがありませんでした。それくらい小さく、目立たない存在です。この祠のすぐ下はゴツゴツとした岩場になっており、そこから地下水が滔々と湧き出して川に流れ込んでいます。この場所は遠い昔、三嶋大社と同様、この地の住民から霊験あらたかな場所として祀られていたそうなのですが、時代を経るに従ってその存在が忘れられてしまい、今では小さな祠が残るだけになってしまったそうです。



②浅間神社
白滝公園のすぐそばに「浅間神社」という小さな神社があります。通りから少し奥まった場所にあるため、三島に住んでいる人でも、その神社の存在に気付かない人はかなり多いと思います。下の神社の来歴の写真にもある通り、ここはかつて三嶋大社の別宮、伊豆国の二宮として信仰を集めたそうですが、今はその面影はほとんどなく、私たちが訪問した際には境内に参拝者は一人もいなく、三嶋大社の喧騒ぶりとは本当に対照的でした。静かな境内で、心穏やかに改めて参拝しました。



この浅間神社の社の左側に、ズングリとした大きな巨木が立っているのですが、実はこの樹の辺りから、かなりのエネルギーが出ているという話しを聞きました。昨年の夏に一度、浅間神社をお参りしてこの木の前に立ったのですが、雑草が生い茂ってヤブ蚊が多くかなり難儀したのですが、今回訪れてみるときれいに整備されており、皆で樹の周りに立ってパワーのお裾分けをしてもらいました。

長く住んだことのある土地であっても、私たちの知り得ない来歴や由来がある、忘れられた場所が数多く残っている事を今回、改めて思い知った次第です。(続く)
今回も参拝後は、皆でお御籤を引いたり、御守りを授かったりしました(ちなみに、御守りを「買う」というのは間違った言い方で、「授かる」というのが正しい表現ですね…)。姪っ子は例年通り、境内の出店で静岡名物の麩菓子「さくら棒」を買っておりました。



以前の記事でも少し触れたことがありますが、昨年の春、とある人から神社に関連する諸々の話しを伺う機会があり(=私が神社の勉強を始めようと思うきっかけとなった人です)、その際、三嶋大社を参拝する折に、大社から少し離れたある場所(2か所)を併せて訪問すると、参拝の効果が高まるので是非訪れてみるように、とアドバイスされました。そんな事もあって今年は、三嶋大社の参拝を済ませた後に、その場所に向かうことにしました。
①白滝公園の祠
三嶋大社から三島駅に向かう道すがら、水辺の小道があり、その途中に白滝公園という公園があります。その公園の一画に、小さな祠が建っています。私もかつて三島に住んでいた時、何度となくこの公園を訪れる機会があったのですが、その祠の存在は全く意識したことがありませんでした。それくらい小さく、目立たない存在です。この祠のすぐ下はゴツゴツとした岩場になっており、そこから地下水が滔々と湧き出して川に流れ込んでいます。この場所は遠い昔、三嶋大社と同様、この地の住民から霊験あらたかな場所として祀られていたそうなのですが、時代を経るに従ってその存在が忘れられてしまい、今では小さな祠が残るだけになってしまったそうです。



②浅間神社
白滝公園のすぐそばに「浅間神社」という小さな神社があります。通りから少し奥まった場所にあるため、三島に住んでいる人でも、その神社の存在に気付かない人はかなり多いと思います。下の神社の来歴の写真にもある通り、ここはかつて三嶋大社の別宮、伊豆国の二宮として信仰を集めたそうですが、今はその面影はほとんどなく、私たちが訪問した際には境内に参拝者は一人もいなく、三嶋大社の喧騒ぶりとは本当に対照的でした。静かな境内で、心穏やかに改めて参拝しました。



この浅間神社の社の左側に、ズングリとした大きな巨木が立っているのですが、実はこの樹の辺りから、かなりのエネルギーが出ているという話しを聞きました。昨年の夏に一度、浅間神社をお参りしてこの木の前に立ったのですが、雑草が生い茂ってヤブ蚊が多くかなり難儀したのですが、今回訪れてみるときれいに整備されており、皆で樹の周りに立ってパワーのお裾分けをしてもらいました。

長く住んだことのある土地であっても、私たちの知り得ない来歴や由来がある、忘れられた場所が数多く残っている事を今回、改めて思い知った次第です。(続く)
先日、自宅に「第2回神社検定」の実施のお知らせが郵送で届きました。
このブログを始める以前の今年6月、私は第1回目の神社検定(3級)を受験していまして、その流れで来年の検定のお知らせが送られてきた訳です。
神社検定
これまでの記事でも書いてきたように、以前、静岡の三島市に住んでいた頃に近所の三島大社によく参拝に行ったり、また旅行先に大きな神社がある所には立ち寄ってお参りするなど、学生の頃から神社仏閣巡りが好きでした。とはいえ、神社に関わる知識を体系的に勉強したことがなく、神話の中に出てくる神様の名前やエピソードなども、今から考えると恥ずかし程しか知りませんでした。
今年に入り、神社や神道について詳しい方と出会ったことをきっかけに、自分もきちんと本を読んで勉強してみよう…と思っていた矢先、別の知人から、今年6月に神社検定が実施される、という情報を教えてもらいました。その話しを聞きつけたのが4月、すぐに受験を申し込んだのですが、かなり分厚い2冊の指定テキスト(神社全般に関する解説書『神話のいろは』、古事記や神々に関する解説書『神話のおへそ』)の内容を覚えなければならず、受験生の頃に戻ったような感じでテキストと格闘しました。
神社検定(正式には神道文化検定)は、全国約8万の神社を包括する神社本庁の監修を受けた検定試験です。検定は1級・2級・3級(神社検定の表記に従うと壱級・弐級・参級)に分かれているのですが、今年から新しく実施された検定試験ということもあり、2012年は参級のみの試験でした(2013年に弐級、2014年に壱級が新設されます)。
試験会場は、渋谷区の國學院大学。当日の会場の様子ですが、私と同世代(40代)か、それ以上の方が大半でした。事前の勉強である程度の手応えを掴んでいたこともあって、当日の試験問題はひと通り回答することができました。その後、8月になって試験結果が到着、無事、参級合格となりました。試験合格者には、絵馬型の木製の合格認定書が同封して送られてきます。伊勢神宮の御用材となる長野県木曽産のヒノキを使用しているそうで、何とも気の利いた計らいをしてくれます。下の写真が、私の部屋に飾ってある認定書です。

2013年、私は弐級を受験することになりますが、上記のサイトにもある通り、各級にはテーマが設定されていて、弐級のテーマは「遷宮と神社」となります。
言うまでもなく、2013年は伊勢神宮と出雲大社の、日本を代表する二大神社が同時に式年遷宮を迎えます(伊勢神宮は20年ごと、出雲大社は60年ごとに遷宮されます)。式年遷宮にあたっては様々な祭祀が行なわれることもあって、今回の試験に向けては、そのあたりの内容を学ぶことになりそうです。伊勢神宮と出雲大社の遷宮が、同じ年に同時に行われるのは、日本の歴史上初めてのことです(戦乱・戦争などの影響で、遷宮が中断・延期された事が過去に何度もあったそうです)
…と、やや優等生気味な感じで神社検定のことをあれこれ書いてみましたが、「表があれば裏がある」のが世の常識。様々な書籍や情報を見聞きするにつけ、神社本庁が説く神社や神話、一般的に知られている事実とは別に、歴史の闇に隠されてきた事柄が多々あることも知りました。そのあたりのテーマを今後、自分なりにより追求し、ブログでも取り上げて行きたいと考えています。
そういえば、年内最後に発売された雑誌「ムー」1月号、特集記事は「伊勢神宮・出雲大社 式年遷宮大預言」でした。今回の特集もまた、これまで知り得なかった新情報が満載で、驚きの連続でした。伊勢神宮の式年遷宮はかつて19年ごとに行なわれていた事実、内宮と外宮の式年遷宮は同時に行われていなかったという事実、そして「金の座」「米の座」の存在と社会動向の関連性などなど…。それ以上に、両社の同時遷宮には巨大な意味が隠されている、というのが主旨です。来年の遷宮に興味のある方には、是非お勧めの記事です。
そんなこんなで、今年も残るところあと1日。筆不精の私にとってブログの立ち上げは初めての体験となりました。来年以降も、出来るだけ長く続けられればと思っております。拙い文章・内容ではありますが、今後とも「サトセイのブログ」をどうぞよろしくお願いします。
このブログを始める以前の今年6月、私は第1回目の神社検定(3級)を受験していまして、その流れで来年の検定のお知らせが送られてきた訳です。
神社検定
これまでの記事でも書いてきたように、以前、静岡の三島市に住んでいた頃に近所の三島大社によく参拝に行ったり、また旅行先に大きな神社がある所には立ち寄ってお参りするなど、学生の頃から神社仏閣巡りが好きでした。とはいえ、神社に関わる知識を体系的に勉強したことがなく、神話の中に出てくる神様の名前やエピソードなども、今から考えると恥ずかし程しか知りませんでした。
今年に入り、神社や神道について詳しい方と出会ったことをきっかけに、自分もきちんと本を読んで勉強してみよう…と思っていた矢先、別の知人から、今年6月に神社検定が実施される、という情報を教えてもらいました。その話しを聞きつけたのが4月、すぐに受験を申し込んだのですが、かなり分厚い2冊の指定テキスト(神社全般に関する解説書『神話のいろは』、古事記や神々に関する解説書『神話のおへそ』)の内容を覚えなければならず、受験生の頃に戻ったような感じでテキストと格闘しました。
神社検定(正式には神道文化検定)は、全国約8万の神社を包括する神社本庁の監修を受けた検定試験です。検定は1級・2級・3級(神社検定の表記に従うと壱級・弐級・参級)に分かれているのですが、今年から新しく実施された検定試験ということもあり、2012年は参級のみの試験でした(2013年に弐級、2014年に壱級が新設されます)。
試験会場は、渋谷区の國學院大学。当日の会場の様子ですが、私と同世代(40代)か、それ以上の方が大半でした。事前の勉強である程度の手応えを掴んでいたこともあって、当日の試験問題はひと通り回答することができました。その後、8月になって試験結果が到着、無事、参級合格となりました。試験合格者には、絵馬型の木製の合格認定書が同封して送られてきます。伊勢神宮の御用材となる長野県木曽産のヒノキを使用しているそうで、何とも気の利いた計らいをしてくれます。下の写真が、私の部屋に飾ってある認定書です。

2013年、私は弐級を受験することになりますが、上記のサイトにもある通り、各級にはテーマが設定されていて、弐級のテーマは「遷宮と神社」となります。
言うまでもなく、2013年は伊勢神宮と出雲大社の、日本を代表する二大神社が同時に式年遷宮を迎えます(伊勢神宮は20年ごと、出雲大社は60年ごとに遷宮されます)。式年遷宮にあたっては様々な祭祀が行なわれることもあって、今回の試験に向けては、そのあたりの内容を学ぶことになりそうです。伊勢神宮と出雲大社の遷宮が、同じ年に同時に行われるのは、日本の歴史上初めてのことです(戦乱・戦争などの影響で、遷宮が中断・延期された事が過去に何度もあったそうです)
…と、やや優等生気味な感じで神社検定のことをあれこれ書いてみましたが、「表があれば裏がある」のが世の常識。様々な書籍や情報を見聞きするにつけ、神社本庁が説く神社や神話、一般的に知られている事実とは別に、歴史の闇に隠されてきた事柄が多々あることも知りました。そのあたりのテーマを今後、自分なりにより追求し、ブログでも取り上げて行きたいと考えています。
そういえば、年内最後に発売された雑誌「ムー」1月号、特集記事は「伊勢神宮・出雲大社 式年遷宮大預言」でした。今回の特集もまた、これまで知り得なかった新情報が満載で、驚きの連続でした。伊勢神宮の式年遷宮はかつて19年ごとに行なわれていた事実、内宮と外宮の式年遷宮は同時に行われていなかったという事実、そして「金の座」「米の座」の存在と社会動向の関連性などなど…。それ以上に、両社の同時遷宮には巨大な意味が隠されている、というのが主旨です。来年の遷宮に興味のある方には、是非お勧めの記事です。
そんなこんなで、今年も残るところあと1日。筆不精の私にとってブログの立ち上げは初めての体験となりました。来年以降も、出来るだけ長く続けられればと思っております。拙い文章・内容ではありますが、今後とも「サトセイのブログ」をどうぞよろしくお願いします。