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先日、自宅に「第2回神社検定」の実施のお知らせが郵送で届きました。
このブログを始める以前の今年6月、私は第1回目の神社検定(3級)を受験していまして、その流れで来年の検定のお知らせが送られてきた訳です。

神社検定

これまでの記事でも書いてきたように、以前、静岡の三島市に住んでいた頃に近所の三島大社によく参拝に行ったり、また旅行先に大きな神社がある所には立ち寄ってお参りするなど、学生の頃から神社仏閣巡りが好きでした。とはいえ、神社に関わる知識を体系的に勉強したことがなく、神話の中に出てくる神様の名前やエピソードなども、今から考えると恥ずかし程しか知りませんでした。

今年に入り、神社や神道について詳しい方と出会ったことをきっかけに、自分もきちんと本を読んで勉強してみよう…と思っていた矢先、別の知人から、今年6月に神社検定が実施される、という情報を教えてもらいました。その話しを聞きつけたのが4月、すぐに受験を申し込んだのですが、かなり分厚い2冊の指定テキスト(神社全般に関する解説書『神話のいろは』、古事記や神々に関する解説書『神話のおへそ』)の内容を覚えなければならず、受験生の頃に戻ったような感じでテキストと格闘しました。

神社検定(正式には神道文化検定)は、全国約8万の神社を包括する神社本庁の監修を受けた検定試験です。検定は1級・2級・3級(神社検定の表記に従うと壱級弐級参級)に分かれているのですが、今年から新しく実施された検定試験ということもあり、2012年は参級のみの試験でした(2013年に弐級、2014年に壱級が新設されます)。

試験会場は、渋谷区の國學院大学。当日の会場の様子ですが、私と同世代(40代)か、それ以上の方が大半でした。事前の勉強である程度の手応えを掴んでいたこともあって、当日の試験問題はひと通り回答することができました。その後、8月になって試験結果が到着、無事、参級合格となりました。試験合格者には、絵馬型の木製の合格認定書が同封して送られてきます。伊勢神宮の御用材となる長野県木曽産のヒノキを使用しているそうで、何とも気の利いた計らいをしてくれます。下の写真が、私の部屋に飾ってある認定書です。

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2013年、私は弐級を受験することになりますが、上記のサイトにもある通り、各級にはテーマが設定されていて、弐級のテーマは「遷宮と神社」となります。

言うまでもなく、2013年は伊勢神宮と出雲大社の、日本を代表する二大神社が同時に式年遷宮を迎えます(伊勢神宮は20年ごと、出雲大社は60年ごとに遷宮されます)。式年遷宮にあたっては様々な祭祀が行なわれることもあって、今回の試験に向けては、そのあたりの内容を学ぶことになりそうです。伊勢神宮と出雲大社の遷宮が、同じ年に同時に行われるのは、日本の歴史上初めてのことです(戦乱・戦争などの影響で、遷宮が中断・延期された事が過去に何度もあったそうです)

…と、やや優等生気味な感じで神社検定のことをあれこれ書いてみましたが、「表があれば裏がある」のが世の常識。様々な書籍や情報を見聞きするにつけ、神社本庁が説く神社や神話、一般的に知られている事実とは別に、歴史の闇に隠されてきた事柄が多々あることも知りました。そのあたりのテーマを今後、自分なりにより追求し、ブログでも取り上げて行きたいと考えています。

そういえば、年内最後に発売された雑誌「ムー」1月号、特集記事は「伊勢神宮・出雲大社 式年遷宮大預言」でした。今回の特集もまた、これまで知り得なかった新情報が満載で、驚きの連続でした。伊勢神宮の式年遷宮はかつて19年ごとに行なわれていた事実、内宮と外宮の式年遷宮は同時に行われていなかったという事実、そして「金の座」「米の座」の存在と社会動向の関連性などなど…。それ以上に、両社の同時遷宮には巨大な意味が隠されている、というのが主旨です。来年の遷宮に興味のある方には、是非お勧めの記事です。

そんなこんなで、今年も残るところあと1日。筆不精の私にとってブログの立ち上げは初めての体験となりました。来年以降も、出来るだけ長く続けられればと思っております。拙い文章・内容ではありますが、今後とも「サトセイのブログ」をどうぞよろしくお願いします。
先日の土曜日、大雨の降る中、高島康司さんの講演会に行ってきました。当日は30人以上の方々が参加していました。

(講演会の様子をお話しする前に)前回のブログの記事ではあまり深く触れなかったのですが、高島さんの研究対象としているカール・ヨハン・コールマン博士は、マヤ暦の終焉後(2011年10月28日以降)に訪れるであろう新しい時代の特徴として…

① 意識の変化 (左脳と右脳のバランスの良い統合、消費欲=物欲の衰退)
② 社会システムの変化 (金融資本・大量消費型社会からの脱却、地域共同体・自立経済圏の勃興)
③ 思想の変化 (国家主義思想、右翼・左翼などイデオロギーの衰退)

…という3つの変化を説いていたのですが、今回の講演会では、昨年からの1年間で実際にそのような変化が生じたかどうかの高島さんなりの検証と、2013年以降の日本と世界の動向分析、を二本柱に講演が行なわれました。

まず、昨年マヤ暦が終わって以後の世界の動向に関して高島さんは、コールマン博士の説と現実の世界の潮流は、全く正反対な方向に進みつつある、と語っていました。昨今のニュースを見聞する限り、日本も含めて世界各地でナショナリズムが台頭し、何ともキナ臭い方向に進んでいるな…、と世間の誰もが感じているはずです。高島さんは、なぜコールマン博士の説と、現実の世界の動向とに大きなズレが生じてきているのか分からず(極論を言うと誰にも分からない訳ですが…)、今後の動向を引き続き検証する必要がある、もしかするともっと大局的な面で(数十年の単位で)変化が起こる可能性も考えられる…と語っていました。

今回の講演で最も興味深かったのは、二本柱のもう1つ、2013年以降の日本と世界の動向予測です。こちらの説明は、高島さんご自身の情報分析をベースにした話しで、具体的な話題が盛り沢山でした。ただ、かなり突っ込んだ話しもあり、全てを挙げることはできないのですが、日本・世界の今後の大よその動向については、以下のような説明がありました。

◎安倍政権は、ジャパンハンドラー(日本の政治に影響力を行使するアメリカの勢力、軍産エネルギー複合体が中心)の意向を受けて、「内政中心」「外交問題は棚上げ」の方針を採るはず。

◎安倍政権が今後、①100兆円近いのインフラ整備=公共投資の実施、②2%のインフレターゲットの実施、を行うことにより、日本国内ではミニバブルミニ高度経済成長)が起こるはず。

◎安倍政権の政策はジャパンハンドラーの1人、マイケル・グリーン氏の意向に確実に沿うはず。グリーン氏の見解は、既に公にされている(以下、講演会で紹介されたグリーン氏へのインビュー記事)

安倍政権が、外交でやってはいけないこと マイケル・グリーン氏が語る日本外交(東洋経済オンライン)

◎アメリカでは、国内でシェールガスの採掘の見込みが立ったため、エネルギーの自給が可能となり、将来、中東地域から手を引くことになる。アメリカは自ら世界の覇権国の座を降りて、その座を中国に移譲していく準備を着々と進めている。

◎シェールガスに関連して、安価にエネルギーが確保できるようになるので、高リスクの原子力発電所は将来的に放棄される可能性が高い。原子力発電より熱効率が2倍以上高い「ガスタービン・コンバインド・サイクル(GTCC)発電」が、世界の主流になるはず。

ガス・コンバインドサイクル発電 広瀬隆 (You Tube)

政治や経済の話題には疎い私ですが、それでもやはり高島さんの説明を聞くにつけ、新聞やニュースを見聞きするだけでは知り得ない、様々な情報が存在していることを改めて認識しました。

講演会の後半、コンサルタント業を生業(なりわい)にし、緻密な経済分析を得意とする高島さんが、何故にマヤ暦やら未来予知といった、一般的には際物(きわもの)として扱われるテーマに興味を持つようになったのか、その理由を語っていました。欧米型の経済、特に金融工学などはその象徴ですが、リスクの発生要因を事前に予測、それらを排除する方策を数理的に解析することで、極限まで利潤を高めるシステムが現在、構築されています。しかし、アメリカで起こったサブプライム問題やリーマンショックなど、世界の誰もが全く予期しない出来事が突発的に起こるのもまた事実で、高島さんは、そうした予測不能な現象が起こるメカニズムを紹介した書籍「ブラック・スワン」を読み、不確定要因の発生について興味を抱いたそうです。

「ブラック・スワン 不確実性とリスクの本質」

そうした不確定要因を探る過程の中で、コールマン博士が唱えたマヤ暦の解釈に辿りつき、これは面白そうだ!ということで、一般的な経済分析とは異なるアプローチから、未来予知全般について様々な情報の収集分析を始め、ブログを通じて広く発信してきたそうです。そういえば数年前、「ブラック・スワン」の本が話題になった記憶があります。私自身未読だったのですが、今回の高島さんの話しを聞いて俄然、興味が湧いてきました。今回の講演会の様々な話題の中でも、私としてはこのブラック・スワンの理論が、最も核心を突くキーワードだと感じました。

経済分野に限らず、人間はこの世に生きてる限り、予測不能な不確定要因を排除することは多分、不可能なことでしょう。とはいえ、そうした予測不能な事態が生じる可能性がゼロでは無いという現実を、つねに心の何処かに置いておくことが肝心なのかもしれません。「ブラックスワン」の本、内容的に相当なボリュームがあるようですが、時間を見つけて是非読んでみたいと思います。高島さんの発信する情報にも今後、引き続き注目して行きたいと思います。
今日、2012年12月21日は“謎学”に関心のある私としては、やはり特別な日と言えます。ここ数日、古代マヤ暦の終焉が、テレビの番組やニュースで頻繁に取り上げられ、世界的な規模で話題となっています。私自身もここ数年、マヤ暦に関連する様々な書籍や記事を読んできました。マヤ暦の終わりを世界的に広めた当事者のホゼ・アグエイアス氏 を初め、日本人では柳瀬宏秀さん、小原大典さん、それに雑誌「ムー」の特集記事など、色々な著作や記事に目を通してきましたが、その中でもやはりマヤ暦の高度な体系や深淵さを知らしめてくれたのは、スウェーデン出身のカール・ヨハン・コールマン博士でした。

マヤ暦について興味のある方なら既読の方もいるかと思いますが、2009年に発売された著作「マヤ暦が終わるのは、2011年10月28日だった!」は、もう本当に衝撃的な内容で、3回ほど再読した覚えがあります。本のタイトルにもあるように、昨年10月末の時点でマヤ暦が終焉し、以後、世界は新しい時代に突入する、というのが博士の見解です。博士のマヤ暦に対する見解をごくごく簡単に言うとは、「マヤ暦は私たちが認識するような単純なカレンダーではなく、人類の進化のプロセスを示す道程表である」ということです。より詳細な内容を要約して説明するのは、文才のない私では難しいので、出版元のサイト(書籍の目次)を挙げておきます。

VOICE マヤ暦が終わるのは、2011年10月28日だった! 

この著書で私が一番惹かれたのは時間の概念について、マヤ暦の世界観では時間はスパイラル状の多重構造で(9つの階層によって構成され)、階層が上がるにつれて時間の速さが変わる、つまり、時間の経過は一定の速さで進むのではなく、幾何級数的に加速度をつけて進んで行くという点です。一般的な常識では???といった感じの話しかと思いますが……。“謎学”に通じている方ならご存知かと思いますが、この時間の加速化については、テレンス・マッケンナ氏が「タイムウェーブ・ゼロ理論」で、全く同じ事を主張しています。彼の理論は、さまざまなサイトで紹介されています。

時間の加速化タイムウェーブ・ゼロ理論(波状型時間理論)について

何とも荒唐無稽な話しに聞こえるかもしれませんが、実はそうでもありません。昨年、「遠方の超新星爆発の観測による宇宙の加速膨張の発見」の功績に対して、アメリカ・オーストラリア人の科学者3名にノーベル物理学賞が授与されました。私は根っからの文系人間なので、科学に関する突っ込んだ話しは全く苦手なのですが、地球では当たり前と思われる万有引力の法則が、この広大な宇宙では当てはまらず、宇宙空間の大半を占めるダークエネルギー(反重力)によって加速度的に膨張している、というのが現実の宇宙の姿なのだそうで。

加速膨張する宇宙 (高エネルギー加速器研究機構)

私たちは「時空間」の中にいる存在ですから、もし宇宙=空間の加速化が事実だとすれば、時間の加速化があっても何ら不思議ではありません。現代の技術では、時間の加速化を客観的に測定する技術を持ち合わせていないだけと言えます。

時間の加速化については、コールマン博士のマヤ暦解釈におけるほんの一部の事象でしかなく、いかに暦が高度で深淵なものなのかを、博士は自著で詳しく解説されています。これまでコールマン博士やその他の方々の書籍を読んだ限りでは、マヤ暦の終焉に際して人類が滅亡すると書かれたものは1冊も存在していません。ただし、この暦の最後の日付が境界線となって以後、人類の意識や進化に潜在的な変化が起こる可能性はかなり高い気がします。コールマン博士はそうした状態を「右脳と左脳が統一した統合的な意識」という表現で表しています。

このコールマン博士のマヤ暦解釈については、日本では高島康司さんという研究家(本業は翻訳家・コンサルタント業)の方が以前からブログ内で紹介していました。その他、アメリカを中心に未来予知に関する様々な最新情報を提供していて、その分野に興味・関心のある人にとっては、本当に貴重なブログとなっています。関連書籍も数多く出版され、私も何冊か読んできました。

ヤスの備忘録 歴史と予言のあいだ

やはり高島さんにとっても、マヤ暦が終わる12月21日(日本時間では22日)は特別な日。…ということで当日の22日(土)、高島さん主催の講演会が都内で開かれる予定で、私も満を持して参加してきます。どんな情報を聞くことができるか、楽しみにしています。
先日の午後、NHKで「鶴瓶の家族に乾杯」が再放送されていました。その時、私はパソコンに向かってブログの記事を書いていたので、テレビの方は横目でチラッチラッと眺める程度に見ていました。今回のゲストは佐野史郎さんでした。そういえば佐野さんと言えば、以前のブログでも書いたように、画家の小灘一紀先生を知るきっかけとなった、出雲神話の特集番組に案内役として出演していました。今回の「家族に乾杯」の番組で、佐野さんが選んだ訪問先は、石川県の羽咋市(はくいし)。「羽咋市」といえば、この世の不思議=謎学に興味のある人たちにとっては、誰もがピン!とくる有名な場所です。

この羽咋市、はるか昔から未確認飛行物体UFOが出現・目撃されることで知られる街で、日本で唯一、宇宙関連の展示物とともに世界各地のUFOに関する資料を展示・保管している博物館「コスモアイル羽咋」がある場所です。番組の中でも、実は佐野さんがUFOに興味があり、それが理由の一つで羽咋を訪れた、という事を話していました。

コスモアイル羽咋

ブログの執筆に集中していた間、番組の方はどんどん進行していたようで、ふと何気なくテレビ画面に目を戻すと、鶴瓶さん・佐野さんと共に、見覚えのある中年の男性が映っていました。その顔立ちから、羽咋のUFO町興しの発起人とも言える、高野誠鮮(たかのじょうせん)さんだと分かりました。高野さんは数年前から、高齢過疎化の進む羽咋の農村の復興を目指して、自然栽培による「神子原米(みこはらまい)」というブランド米を確立し、2005年にはローマ法王にこの米を献上して話題になったそうです。ネットで調べてみると先月、テレビ東京の「カンブリア宮殿」でも高野さんが取り上げられていたようです。高野さんが最近、このような“話題の人”になっていたとは、全く知りませんでした。

カンブリア宮殿 高野誠鮮氏

今から20年以上前の話しです。私が大学生だった1980年代末、テレビ朝日で「プレステージ」という深夜番組が放送されていて、その番組でよく、UFOや超常現象をテーマにした放送があり、その時には毎回、食い入るように番組を見ていました。たま出版の韮澤潤一郎さんと、早稲田大学の大槻義彦教授のバトルは、確かこの番組から始まったと記憶しています。UFO肯定派と否定派の論争が繰り広げられる中で、具体的な証拠を提示できず、いつも分が悪い肯定派の中にあって唯一、冷静沈着な語り口で、科学ジャーナリストの見地からUFOの存在を訴え続けた人、それが高野さんでした。先日の番組に映っていた高野さんの姿、現在はお寺の住職ということもあり剃髪していて大分様子が変わっていましたが、20年以上前にテレビに登場していた頃にはしっかり髪型も決まっていて、本当にイケメンな方でした。そんな高野さんを中核として、1995年に羽咋市に造られたのが「コスモアイル羽咋」です。

昨年、妻と北陸旅行(富山・石川県)に行ったのですが、実はその際に「コスモアイル羽咋」を見学してきました。今回の「家族に乾杯」での佐野さんと同じように、私自身にとっても、羽咋市の訪問は十数年にわたる念願でした。1年半以上前の訪問先なのですが、面白い写真が沢山撮れたので今回、紹介したいと思います。

北陸旅行中で唯一、羽咋を訪問した時だけ大雪に見舞われました。駅前には宇宙人(グレイ)の姿が…。

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雪道で足場の悪い中を20分以上歩いて、ようやく念願の「コスモアイル羽咋」に到着。建物の前には、アメリカで実際に使用されたマーキュリー・ロケットがそびえ立っていました。

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館内に入ると、実際にアメリカやロシアが宇宙で使用した(あるいは実物を忠実に再現したレプリカの)月面着陸船や司令船・通信衛星・宇宙服などが、所狭しと展示されていました。

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宇宙開発の歴史を物語る貴重な展示物と並んで、「コスモアイル羽咋」の目玉とも言える、UFOや宇宙人に関する様々な資料が展示されていました。

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宇宙人(グレイタイプ)の解剖の様子を再現した、相当にグロいレプリカ像もありました(妻は怖がって逃げていました)。心臓の弱い人にはお勧めできません。

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展示室の外に出ても、館内は宇宙人だらけでした。かなりコミカルな感じで、ほとんどキャラクター化しています(あの矢追純一さん、名誉館長なのだそうです)。

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何といってもトイレの表示が…このデザインは秀逸です。矢追さん監修のUFO検定も興味深々、いつかは“UFOを伝える側の一員”になってみたいものです。

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…といった感じで昨年、コスモアイル羽咋を訪問した訳ですが、実はこの日は忘れもしない3月11日、あの東日本大震災が起こった日でした。

お昼過ぎにコスモアイル羽咋を見学した後、電車に乗って和倉温泉に移動し、午後からは水族館に遊びに行き、呑気にイルカやラッコたちの姿を観ていたとき、妻の携帯に友人から連絡があり、首都圏でかなり大きな地震があったことを知りました。私たちがいた能登は全く揺れず、地震があったことなど微塵も感じなかったのですが、宿に入ってテレビをつけて初めて、事の重大さに気づいた状況でした。今から考えても、偶然とはいえ、あのタイミングで首都圏を離れて旅行したことが、今でも不思議でなりません。

話しを戻して、高野誠鮮さんの件については、実はまだ続きがあります。「家族に乾杯」を観たその日の夜、寝る前に布団に入りながら、前日に購入した「ムー」1月号を何気なく読み進めていると、雑誌の一番最後に「ブッダを荼毘に付したときの遺物? 真の仏舎利と釈迦の米」という記事が載っていました。

紀元前4~5世紀頃にブッダが亡くなった時、葬儀の際に遺体に蒔かれたと思われる米粒が、1970年代に行なわれたブッダの出身地での発掘調査で見つかり、それを内々に日本に持ち込んで長い間保管してきた人物が、石川県羽咋市の妙法寺の住職にその米粒を託した、というのが主旨です。実はその妙法寺の住職こそが、高野誠鮮さんだったのです。何ともはや…、眠気も吹っ飛んでしまうほどのシンクロ現象でした。

上述した最近の高野さんの「神子原米」の話題に関しては、私自身、まだ知らない事が多くあるので、もっと深く調べてみようと思います。高野さんをめぐるキーワードは「」です。
先日、BS朝日で「古九谷の謎 ~神秘の色絵磁器 そのルーツは?」という番組が放送されていました。陶磁器などの焼物についてはこれまで、様々な美術館や博物館等で目にする機会があったのですが、日本各地の焼物の特徴、それらが造られた歴史的な背景については未だ不勉強な部分が多いので、こうしたテレビ番号が放送される時には、録画して内容を確認するようにしています。古九谷焼に関して私が知っていたのは、石川県で生産された焼物(磁器)であること、日本各地の焼物の中でもトップクラスの高級な焼物であること、緑色などの色彩で塗り込められた焼物であること、といった程度でした。

この番組では、「開運なんでも鑑定団」の中島誠之助さんをナビゲーター役に、古九谷焼の特徴や歴史などが様々な面から紹介されていました。古九谷の中にも「五色手」や「青手」といった色絵付けの違いがあること、焼物が造られた当時の歴史的な背景(九谷の地を治めた加賀藩、加賀大聖寺藩との関係)、古九谷焼が江戸時代の前期(1600年代の後半)の約半世紀の間に造られ、その後消滅してしまったとことなど、様々な事実を知ることができました。

その中でも大きなポイントとなるのが、古九谷焼の元々のルーツは佐賀(鍋島藩)の伊万里焼にあり、伊万里の製陶技術や素地(きじ=色絵を付ける前の無地の焼物)を取り入れることで古九谷焼が確立した、という点です。実はその背景には、加賀大聖寺藩の藩主に嫁いだ女性が佐賀藩鍋島家の出身で、古九谷が造られた当時、加賀と佐賀は姻戚関係にあったそうなのです。古九谷焼と伊万里焼に、そうした歴史的な繋がりがあったとは、全く知りませんでした。

そんな中、渋谷の戸栗美術館で「古九谷名品展」が開催中で、学芸員による展示解説日があると聞きつけ先日、美術館を訪問してきました。

戸栗美術館

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渋谷駅から歩いて10分程度の近さにも関わらず、渋谷の喧騒が信じられないくらい閑静な住宅街の中にあり、落ち着いた環境で作品を鑑賞できる美術館です。当日は私も含めて20人くらいの見学者が集まり、新人の女性学芸員の方が約1時間にわたって作品を解説してくれました。色絵付けに関わる話しやデザインの特徴など、とても分かりやすい説明でした。特に、微妙な色合いに関する説明(例えば、磁器に黒色を塗ると色落ちし易いので、黒色の上に緑色を重ね塗りしてカバーする等)などは、テレビの画面や印刷物では判別できない、実物を目にしなければ分からないことも色々あって、とても興味深かったです。

しかし、今回の「古九谷名品展」で展示されている古九谷作品の全てが“伊万里(古九谷様式) ”と表示されていました。古九谷といえば石川で造られたモノなのに、と素人目には思ってしまう訳ですが、そこには何やら複雑な事情が絡んでいるようで…。

先ほども少し触れましたが、古九谷焼の元々の産地はどこなのかを巡って、石川県の九谷か、佐賀県の有田かで争われてきた経緯があり、「陶磁史邪馬台国論争」とも呼ばれているそうです。現在、全国の美術館では、“伊万里(古九谷様式)”の表記が一般化しているようです。これに反論する形で、以下の石川県側のサイト上で、有識者の方々がさまざまな見解を示しています。

加賀の九谷 ―古九谷の真実に迫る―

今回訪れた戸栗美術館は、旧鍋島藩の屋敷跡に造られた美術館で、主な収蔵品が伊万里・鍋島などの肥前磁器を中心としていることもあって、古九谷焼を“伊万里(古九谷様式)”としているのは、当然といえば当然と言えるでしょう。一方の石川県では、古九谷焼は石川九谷が産地という姿勢を貫いていて、そうしたアピールもあって、今回放送されたテレビ番組が製作された様子が伺えます。

私自身はどちらの肩を持つわけでもありませんが、当事者の方々としてはやはり譲れない部分があるのでしょう。かつて、姻戚関係を結んで良好な関係にあった前田家や鍋島家の藩主が生きていたら、この論争をどんな気持ちで見守ることでしょうか…。

ちなみに、石川の古九谷の窯が約50年で消滅してしまった原因ですが、未だ明確な理由が判明していないそうです。今回の番組では、製陶に関わった陶工の多くが九州から逃れてきた隠れキリシタン(=島原の乱が発生する前に逃れてきた人たち)で、彼らの存在が中央幕府に発覚する前に、加賀藩がその事実を隠蔽するため窯を廃止した、という説が紹介されていました。同時に、古九谷焼の作品の中に、キリスト教にまつわる事物を皿絵のデザイン中に忍ばせたものがある、とも紹介されていました。ネットで調べたところ、今回の番組で取り上げられていた皿絵について、詳しく解説したサイトがありましたので、紹介しておきます。

古九谷キリシタン 隠し絵(ダブルイメージ)

先日の記事で書いた茶の湯の大成者、千利休や古田織部がキリスト教徒だったというエピソードと、はからずもシンクロしてしまいました、不思議な話しです…。
明治学院大を後にし、最後に向かったのは畠山記念館です。こちらの美術館も名前だけは知っていたのですが、主に茶道具等を中心に企画展示を行う美術館で、あまり馴染のない分野ということもあって、今まで足を運ぶ機会がありませんでした。ただ、先日の記事でも書いたように、少し前から「へうげもの」の影響で、茶の湯や茶道家の歴史に興味が出てくるようになったこともあって今回、初めての訪問となりました。

畠山記念館

白金台の入り組んだ住宅街の路地を抜けると、立派な門構えの畠山記念館が見えてきます。今回は「秋季展 利休と織部」の企画展示が開催されていました。

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大きな門には畠山氏の家紋(二つ引両)。かつての大名屋敷跡の雰囲気がいまだに色濃く残っていて、何とも厳かな気持ちになります。門を抜けると、広い日本庭園があり、先ほど見てきた八芳園にも劣らないくらい、美しい紅葉の景色が広がっていました。

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記念館の創設者、畠山一清氏は、ポンプで有名な荏原製作所の創業者だそうで、実業の傍ら、能楽や茶の湯をたしなみ、収集した数多くの作品や茶室を備えた記念館を、ここ白金台に設立されたとのこと。かつては、現在の美術館の敷地横に、広大な庭を有した般若苑(はんにゃえん)と呼ばれる私邸(のちに高級料亭)があり、白金台の街を象徴する存在だったそうです。

庭園をひと巡りして記念館へ。さほど大きな建物ではありませんが、畠山翁の意向を反映した設計だそうで、庭園の風景に溶け込んだ、落ち着いた雰囲気の外観です。階段を上がって2Fに、展示スペースがあります。

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展示作品については、上記サイトに情報が載っています。茶碗の良し悪しを語るほどの知識は身に付いていませんが、それでも、古田織部の用いた茶碗や焼物の実物を観ると、他のどれよりも形状が独特で、師匠の利休によって大成された茶の湯の形式美を、独自の感性でアレンジしようとした織部の審美眼が、作品から伝わってきました。

展示品の中でも特に気になったのが「割高台茶碗・織部所持」という茶碗です。“高台”とは茶碗の下の台座の部分で、これに割れ目が4か所入って、茶碗を引っくり返すと台座が十字のような形をしているので、「割高台」という呼び名が付いています。普通の茶碗には見られない特殊な形で、何とも“造形の妙”を感じました。さらに、この作品に強く興味が惹かれた理由がもうひとつ。展示作品の解説文によると、この高台の形状がキリスト教の十字架を彷彿とさせるものから、これを所持していた古田織部がキリシタンだったかもしれない、という「古田織部キリシタン説」です。

戦国時代、利休から茶の湯の教えを受けた七高弟の多くがキリシタン大名で、織部の妻が高山右近(キリシタン大名の代表的存在)の妹だったことからも、織部自身がキリスト教に関わっていたという説は、全くのデタラメとは思えません。

そういえば以前、毎月愛読している雑誌『ムー』に、「利休の大成した茶の湯は、キリスト教のミサを象徴したものである」という記事を読んだことがありました。ネットで改めて調べたところ、そのあたりの内容を説明しているサイトがありましたので、紹介しておきます。

キリストの福音が秘められた茶道(牛込キリスト教会)

「侘び寂び」というと、西洋人には理解しがたい極めて日本的な感覚のように思われますが、もしかすると茶の湯の大成者・利休は、西洋人の信仰の拠り所であるキリスト教的な思想を背景に、「侘び」の感覚を極めていった可能性があります。これは、私が常々関心を持っている謎学の分野にも共通して言えることです。私たち日本人が常識だと思っている古来からの歴史・文化・習慣の裏に、実は隠された真実がある、ということです。

茶の湯の文化は、まだまだ奥が深そうです。興味が尽きません。


八芳園を後にして次に向かったのは、下り坂を歩いて数分の場所にある明治学院大学です。

明治学院大学

私は生まれてから大学卒業まで東京の下町エリアで暮らしていたのですが、セレブな街、白金台に来る機会が殆どなかった上に、自分の学生時代や社会人時代を通して、知り合いや友人の中に明治学院大の出身者が1人もいなかったこともあり、私にとっては何故か縁遠い大学でした。とはいえ、この大学には以前から一度、実際に訪れて観てみたい建物がありました。それは大学構内に残る礼拝堂です。

私は学生時代から、明治期以降に建てられた近代建築を観るのが好きで、これまで各地で様々な建物を見てきました。そうした日本に残る近代建造を設計した建築家の中でも、特に私が好きな人物の1人にウィリアム・メレル・ヴォーリズがいます。彼が設計した作品の1つが、明治学院大の礼拝堂です。その名前は知らなくても、彼が設計に関わった日本各地に残る数々の建造物を見れば、「ああ、あの建物がそうなのか…」と思う方がほとんどかと思います。

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(wikipedia)
財団法人近江兄弟社(ヴォーリズ記念館)

ヴォーリズ、一柳米来留(ひとつやなぎめれる)の建築に関しては、個人的に色々な思い出があります。今から20年以上前、御茶ノ水の山の上ホテルで大学卒業時の謝恩会が開かれ、その時に初めて、ヴォーリズの設計によるこの建物を訪れました。当時から憧れの存在で、学生身分で行くのは何ともおこがまし、格式のあるホテルという印象でした。アールデコ調の外観もさることながら、クラシックな雰囲気の館内で仲間や先生たちと最後の時間を過ごせたことは、今でも良い思い出です。

山の上ホテル

それから数年後、会社の夏季休暇を利用して、琵琶湖周辺各地を一人旅した際、近江八幡に残る昔からの商家巡りと合わせて、ヴォーリズの建物を見学しました。当時はまだインターネットもなく、書店で購入した近代建築の関連本を頼りに、近江兄弟社学園を初め、あちこちと道に迷いながら建物を見て廻りました。当時のことを思い出すと、今は本当に便利な時代になりました…。

近江八幡市内のヴォーリズ建築マップ

それから今から10年近く前、滋賀県の豊郷小学校の校舎存続をめぐって、その歴史的価値から、保存修理派と解体推進派との間で住民間の紛争が起こり、ニュースで頻繁に取り上げられたのを記憶している人もいるかと思います。当時は私も、やきもきしながら状況の推移を見ていましたが、あの校舎を設計した人物がヴォーリズでした。

旧豊郷小学校(滋賀県HP)

(前段がかなり長くなっていまいましたが)そんな思い出の深いヴォーリズが設計した建物を目指して、いよいよ明治学院大の構内へ。

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美しい並木道の先に、煉瓦造りの外壁を持つゴシック風のチャペルが見えてきました。近江八幡を初めとして主に関西、西日本を中心に活躍したヴォーリズですが、東京で初めて手掛けた作品が、この礼拝堂だったそうです。1916年の竣工で、急こう配のスレート葺きの屋根と縦長の窓が連なる外観、それに空へと伸びる尖塔が特徴的な建物です。明治学院大を象徴する、まさにシンボル的な存在となっています。

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ヴォーリズの建築とは別に明治学院大の構内には、礼拝堂に向き合う形で、2つの歴史的な建造物が保存活用されています。白色の下見板張りのインブリー館、そして、その隣に建つ赤レンガが特徴的な明治学院大学記念館です。いずれも、ヴォーリズの礼拝堂より以前に造られたものだそうです。

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記念館の中は資料展示室になっていて、館内2Fには大学のミニチュアが展示されていました。上述した3件の建物の位置がよくわかるアングルで、写真を撮ってみました。

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建物の見学をひと通りした後、大学の構内を散策すると、学院創設者であるヘボン氏の胸像がありました。

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一方、ヴォーリズについては、大学構内にある広場にその名前を残しています。下の写真の建物前に広がる場所が、ヴォーリズ広場だそうです。

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余談ですが、前回のブログでも書きましたが当日、八芳園のレストランが大混雑でランチが出来なかったので、今回、大学構内の学食にお邪魔してカツカレーを注文しました。とてもオシャレな雰囲気の学食で、味も値段も満足でした。

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今回、初めての明治学院大の訪問となりましたが、ヴォーリズの設計による建物で、まだ実際に観たことのないものが関西を中心に沢山あります。訪れたい場所が多くて本当に困りますが、まだ見ぬものに出会いたいという欲求こそが、次の旅へと駆り立てる原動力となっています。

(続く)
松岡美術館を後にして次に向かったのは八芳園です。都心にある緑豊かな総合結婚式場で、以前から是非、園内の日本庭園を鑑賞してみたいと思っていました。

八芳園

都心にある日本庭園というと、六義園・小石川後楽園・清澄庭園・浜離宮恩賜庭園といった場所が思い浮かびますが、それ以外にも、老舗といわれる大型ホテルや総合結婚式場などにも、素晴らしい景観を誇る日本庭園が残されています。

こうした都心にある規模の大きい日本庭園の多くは、江戸時代の諸大名や有力武家の屋敷跡ですので、必ず歴史的な背景があります。そうした時代背景を知ったうえで鑑賞すると、より深い見方ができるはずです。というわけで今回も、訪問前日に八芳園のHPを見てみました。

八芳園の歴史は、上記サイトに詳しく説明されています。元をたどると最初は、あの“天下の御意見番”と言われた大久保彦左衛門の屋敷があったそうです。その後、所有者が入れ替わったのちに、久原房之助(くはらふさのすけ)という人物が、現在の八芳園の原型を作り上げたとのこと。色々と調べてみると、大正~昭和期に実業界・政界で活躍した人物で、現在、誰もが知っている日立製作所、日産自動車、ENEOSなどの大企業は、すべて久原氏が設立した企業(久原鉱業所)をルーツとしているそうです。政治家としては、二・二六事件や大政翼賛会への関与など“政界のフィクサー”の異名を持っていたとのこと。色々な意味で勉強になります…。

さて、八芳園の訪問の様子です。大きな黒色の正門をくぐり、本館の建物に向かう道すがらに風情のある木土門があり、そこから庭園に入りました。

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少し先に進むと、見事な十三塔が立っていました。伊賀上野にあったものを移したそうで、関東大震災の際にも崩れなかったそうです。

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さらに先に進むと、枝振りの良い立派な盆栽がズラリと並んでいました。盆栽越しに見える庭の奥には、久原氏の屋敷だった日本家屋、「壺中庵」があります。当初、「日本館」と呼ばれていた建物は、作家の遠藤周作により、中国の故事「壺中天」(壺の中には仙人が住み、宮殿や楼閣を成して山海の珍味を楽しむ、桃源郷のような別世界・別天地がある)に因んで命名されたそうです。

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さらに先に進むと、庭園中心の池に向かう坂道があり、その周りには美しく色付いた紅葉が一面に広がっていました。

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趣のある東屋(あずまや)でひと休み。小さな小屋ですが造りが凝っていて、周囲の景色と相まって目を楽しませてくれます。まるで琳派の絵の中に入り込んだ様です。

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池の水面に映る紅葉の景色。池畔には、水面に浮かぶように建つ水亭や、大きな石灯篭があり、庭園内のアクセントになっています。茶室のべんがら傘の朱色も、何とも色鮮やかでした。

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庭園の少し奥まった所に、小さな神社がありました。明治維新の志士を祀った大護神社です。やはり参拝せずにはいられません…。

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滝の水が流れ込む一画には、大きく立派な鯉たちが優雅に泳いでいました。

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当日は平日にもかかわらず、ウェディングドレス・タキシードを着たカップルが、何組も庭園で写真撮影をしていました。何とも羨ましい限りです…。庭園の鑑賞を終えたあと、本館の館内へ。レストランでランチでも食べようかな…、と思っていたのですが、ちょうどお昼過ぎの時間帯で大混雑。ランチは諦めて、八芳園を後にしました。

とはいえ、素晴らしい紅葉の景色を十分に堪能することができ、大満足のひと時でした。四方八方どこを見ても美しい庭、それが八芳園。新緑の映える頃に、また再訪したいと感じた次第です。

(続く)
秋晴れの一日、今回は港区の白金台駅周辺を散策してきました。かつては勤め先に向かう通勤経路だったのですが、途中下車する機会がなく、私にとっては初探訪の地となります。とはいえ、以前から気になっていた所がいくつもあったので、一日かけて目一杯、歩きまわってきました。まずは松岡美術館に向かいました。

松岡美術館

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何年も前から美術館の存在は知っていたのですが、こじんまりした個人美術なのだろう…という勝手な思い込みもあって、一度も足を運ぶ機会がありませんでした。そんな中、毎週欠かさず見ているBS日テレ「ぶらぶら美術博物館」で今年の夏、松岡美術館が取り上げられました。

ぶらぶら美術博物館 松岡美術館

良い意味で、かなり驚きました。この美術館の館内に展示されているガンダーラ美術の仏像が、私がこれまで見慣れていた古色蒼然とした日本の一般的な仏像と、まるっきり印象が違っていたためです。アレクサンダー大王の東征で、西アジアやインドにギリシア文化が流入したことは、歴史の教科書で理解していたつもりでしたが、現物を観ないことにはやはり分からないものです。

テルマエロマエ風に言えば“平たい顔族”の日本の仏様とは、どうみても明らかに違うのです。仏様の顔の彫(ほり)がどれも深く、目鼻立ちのラインがクッキリしていて、ギリシア彫刻の影響が色濃く見て取れます。まさに“イケメン”なのです。菩薩立像などは躯体も隆々としていて、マッスルな印象です。

仏教や仏像という言葉から、日本人の多くが連想する一般的なイメージや認識は、あくまで極東のこの島国の中で培われてきたものであって、そもそもの源流を辿っていくと、ワールドワイドな要素を含む多文化の融合体だということを、つくづく思い知らされます。2009年、「阿修羅展」が話題になり、仏像を愛でる若い女性が巷に増えていると話しには聞いていますが、そうした人たちにこそ是非、ガンダーラ仏を見てもらいたい、と思いました。かなりの衝撃を受けるはずです。

ちなみに松岡美術館、入館して驚いたのですが、展示作品の写真撮影が全てOKということでした。個人美術館では本当に稀有な存在です。有り難く撮影をさせてもらいました(合掌…)。

まず、美術館イチ押しの仏様、菩薩半跏思惟像(ぼさつはんかしゆいぞう)です。京都・広隆寺や奈良・中宮寺にある有名な半跏思惟像(国宝)と同じ姿勢・ポーズをしており、比較してみると興味深いです。

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展示されていた菩薩像の数々、どれも日本のものとは大分異なります。同じアジア圏とはいえ、西洋的な雰囲気を含んでいて、またその顔立ちには凛々しさを感じます。

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展示作品から目を転じると、一面のガラス窓の向こうに美しい中庭が広がっています。ちょうど今、紅葉シーズンなので眺めは格別です。

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今回、館内2Fで企画展が開催されていました。主に中国の陶磁器と、日本人作家による色彩豊かな風景画が展示されていました。盛りだくさんな展示内容でしたが、やはり何と言ってもガンダーラの素晴らしい仏様に出会えたことが、今回の最大の収穫でした。なぜこんな素晴らしい美術館を今まで一度も訪れなかったんだろう…と、つくづく感じた次第です。

(続く)
私、昨年頃から風水に関する勉強を少しずつ進めてきました。もともと謎学に興味・関心のある私としては、目に見えない世界の仕組みに昔から興味がありました。ただ、占術や風水については、書店に置いてある一般向けの軽い本を読む程度で、体系的に勉強をするようなことは全くありませんでした。一昨年、ある本を読んだのが契機となって、東洋(中国)の五術の奥深さを知ることになり、その一端である易や風水についてもっと詳しく知りたい、という気持ちから、少しずつ関連書籍などを読み進めてきました。

私自身としては、それを突き詰めて本職にしようという気持ちはサラサラ無いのですが、生きていく上で知っておいて損はない、むしろ有益な情報を引き出すことができる強力なツール、それが占いや風水だと感じています。

先日、渋谷道玄坂のフォーラム8で風水セミナーがあり、参加してきました。風水探偵団の斎藤均さん主催のセミナーで、ゲストとして名古屋在住の建築家、大嶋浩さんの講演もありました。参加人数はそれほど多くなかったので、先生方ともかなり近い距離で話しをすることが出来ました。斎藤さんの講演については1か月ほど前、今回と同じ場所で開かれた別のセミナーにも参加した経験があるので、今回が2回目の聴講となります。

風水探偵団

セミナーは二部構成で、斎藤さんが風水全般について、大嶋さんが建築家の立場から家を造る際の注意点、ポイントなどを解説してくれました。

風水マスターと呼ばれる実力者は、香港・台湾・マレーシアなどに多くいるため、斎藤さんもそうした本場の海外の師匠から色々と教えを受けているそうで、最新の事情も含めて、風水の全般的なお話しを実例を交えながら解説してくれました。

一般的に風水というと、家の中の部屋の間取りや、どの方位に何を置いたら運気がアップする(西に黄色いモノを置くと金運UP)といったイメージがあるかと思います。かつての私もその程度の認識しかありませんでした。今回のセミナーでも基本事項として説明があったのですが、香港などの正統風水では、自宅の状況の良し悪しを確認する際には、①自宅周囲の環境(山・川・道路・建物などの位置や形勢)、②自宅の向きや方位・建築された年、の2つの要素が判断材料となります。
①を巒頭(らんとう) 、②を理気(りき)と呼びます。

特に①の巒頭については、風水の勉強を始めるまで、全くその存在を知りませんでした。そもそも、書店で売られている一般的な風水の本では、自宅の中の状況をどう改善するかを解説したものしか目にしたことがなかったので、巒頭という判断材料を認識できるようになったのは、大きな収穫でした。巒頭の様々なパターンを覚えさえすれば、住宅や商店として適さない場所や家・部屋の造りなどが、ある程度簡単に分かります。セミナーでも、色々なケースを解説してくれました。
ちなみに数カ月前、この巒頭を分かりやすくまとめた本が出版されました。一般の書店で購入できます。全ページがフルカラーで、すべての事例に写真や3Dイラストが掲載されていて、ビジュアル的にかなり優れています。一家に一冊は常備しておきたいくらい充実した内容です。

『風水住宅図鑑―風水で住宅をみるための基礎知識』

正統風水では、①の巒頭と、②の理気の組み合わせで、自宅の状態を判断していくわけですが、②については様々な流派や教えが存在していて、初学者の自分としてはまだ知識の及ばない部分もかなりあるのですが、セミナーでの斎藤さんの話しによると現在、世界でもっともスタンダードな流派として支持されているのが、①玄空飛星派風水、②八宅派風水、なのだそうです。

特に①の玄空飛星派が風水のメインストリームで、海外では"フライングスター"の名称で知られています。20年を一単位とする星の巡りにより、家自体や各部屋のもつ運気を判断し、特に玄関・リビング・寝室の3か所を中心に、良くない星が位置している場合には五行(木火土金水)の関係を利用して状況を改善する、というのが概要です。

昨年、福田英嗣さんが執筆した「フライングスター風水術」という本が刊行されました。こちらも一般の書店でも販売されています。私自身、この本をベースに玄空飛星風水の勉強を進めてきたので、今回のセミナーでは参考になる話しも多く聞くことができました。

『フライングスター風水術-人生が劇的に変わる実践香港風水-』

セミナーの第2部、建築家の大嶋さんからは、家を建てる際のポイントや注意点に関する説明がありました。私自身、今のところ家を建てる予定は全くなく、初めはどれだけ参考になるのかな…と思っていたのですが、逆に、全く未知の分野の話しが聞けて、色々な意味で面白かったですね。狭い敷地で家を大きく見せるための仕掛け、部屋の用途に応じた照明の選び方、建築コストを下げる場合のポイント、外壁や屋根の色合いの選択、などなど。予想外に興味深かったのが、本題から離れた雑談として語ってくれた、建築業界の裏事情です。家屋内の火災警報機の設置がどうして義務化されたのか、東日本大震災後の耐震補強工事の公的補助金の支給には何やら隠された意図があった等、建築業界の裏の一面を垣間見ることができました。

セミナーの終了時、斎藤先生からお土産として、八宅風水のハンカチを頂戴しました。今回のセミナー用に特別に製作されたそうです。有難うございました。ちなみに私の本命卦は「坤」です。今後も斎藤先生には色々とお世話になりそうです。


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