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観光客でごった返す浅草を後にして、次に訪れたのは上野です。実は上野公園内にも、サイキック小林世征さんが紹介するパワースポットがいくつかあるのですが、それに関連して上野公園の事を色々と調べてみると、ここ上野も浅草と同様、本当に奥の深い場所だということが見えてきました。上野公園の散策の様子については、また機会を改めて紹介できればと思います。

今回は、上野公園を散策した後に訪れた、国立科学博物館の見学の様子を紹介したいと思います。

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科博を見学するのは5~6年ぶりになります。今回の訪問の目的は2つ。1つは、企画展として開催中の「植物学者 牧野富太郎の足跡と今」展の見学、そしてもう1つは、以前の記事(1/20)で紹介した、
小川三知(おがわさんち)の現存するステンドグラスを鑑賞するためです。

まずは牧野富太郎展から…。植物学など自然科学系にはめっぽう疎い私なのですが、牧野博士については数年前、ある事がきっかけで博士の業績や人物像を知ることとなり、今回、企画展が上野で開催されていると知り、訪問した次第です。

植物学者 牧野富太郎の足跡と今

企画展の会場内部は撮影NGのため、写真を紹介できないのが残念ですが、牧野博士が残した貴重な資料や標本などが多数展示されていて、博士の業績の一端を垣間見ることができます。その中でも特に目を奪われたのが、博士本人が描いた植物画の数々です。

私自身、美術館などで、植物を描いた細密な絵画を鑑賞する機会も多いのですが、牧野博士の描く植物画は、本職の画家にも引けを取らないほどの描写力で、その緻密さに圧倒されました。「天は二物を与えず」と言いますが、牧野博士は間違いなく二物、三物を持ち合わせた、本当に稀有な学者だったと思われます。

とはいえ“象牙の塔”に閉じ籠るような、お高くとまった博士ではなく、植物に関する教育普及のため全国を巡って、多くの人たちと直接触れ合ったそうで、その人柄の良さが伺われます。また博士は皇室とも関係が深く、皇居へ参内して昭和天皇に植物学をご進講されたそうで、その後、博士が病気で重体になった時、昭和天皇からお見舞いとしてアイスクリームが届けられた、という心温まるエピソードも紹介されていました。

今回の企画展の中でも、個人的に最も心を打たれたのが、ある1つのパネルに展示してあった文章です。
それは牧野博士が若い頃、植物学者としての心構えをまとめた「赭鞭一撻(しゃべんいったつ)」という15項目の文章です。改めてネットで調べたところ、この「赭鞭一撻」の内容をまとめたサイトがありました。

赭鞭一撻

これだけの心得を、二十歳そこそこの若者が書いたとは…、並大抵の人物ではありません。40代半ばを過ぎた私自身、身につまされる項目が多々ありますが、特に最後の15項目目(造物主あるを信ずるなかれ)は、深淵の域に達したかのような言葉です。この博士の言葉に出会えただけでも、今回の企画展に足を運んだだけの甲斐がありました


そういえば先ほど、数年前にある事がきっかけで牧野博士のことを知った…と書きました。

2010年、その年はNHK大河ドラマで「龍馬伝」が放送されていました。

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その年の夏に妻と四国旅行に行った際、龍馬ブームにあやかって、私たちも高知を訪問しました。右を見ても、左を見ても、龍馬一色というほどの盛況ぶりでした。高知市内の名所を巡った際、市内の近郊に大きな植物園があることを知り、天気が良かったこともあって訪れてみました。そこが高知県立牧野植物園だったのです。

高知県立牧野植物園

入園してみてビックリ…。広大な敷地に咲く花々や、南国を思わせる巨大な温室、それに建築家の内藤廣氏が設計した「牧野富太郎記念館」のフォルムの美しさ、どれを取っても、私が今までに訪れた国内の植物園の中でも、断トツの素晴らしさでした。そこで初めて、高知出身の牧野博士という偉大な植物学者の存在を初めて知った次第です。以下は、その時の写真です。

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牧野植物園を見終えた後に、桂浜に行って坂本龍馬の像を見学する予定だったのですが、植物園のあまりの素晴らしさに写真を大量に撮影してしまい、桂浜に着いた時には、デジカメのバッテリの残量がギリギリの状況でした。桂浜では3枚しか写真が撮れず、最後の最後で坂本龍馬の像を撮影できた時は、本当に冷や汗ものでした…。こちらがその時の写真です。

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話しが横道に逸れましたが、そんなこんなで高知旅行の際に、はからずも牧野博士の存在を知り、今回、改めて上野で博士の業績を見直すことができました。博士はかつて、東京の練馬に住居を構えていたことから現在、練馬区立牧野記念庭園があるとのこと。練馬区といえば、私が通った高校がある場所でもあります。
昔の思い出を振り返りつつ、そちらの庭園もいずれ訪問してみたいと思います。
(続く)

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今年初め、浜離宮庭園のパワースポットを訪問した記事の中で、サイキックの小林世征(こばやしとしまさ)さんの事を紹介しましたが先日、小林さんご本人が案内する浅草のパワースポット巡りが行なわれ、そちらの企画に参加してきました。

愛読誌「ムー」で毎月、小林さんの記事を読んできましたが、今回、初めてご本人に会ってビックリ、私が想像していたイメージと全く違う、とても話し上手で陽気なサイキックでした。実年齢より10歳以上は若く見えます。

当日の様子については、今回の企画の主催元のサイトで紹介されています(レポートの最初にある、小林さんの姿の写真の右端にチラッっと映っているのが私ですね)。

夢源樹 第3回エスパー小林と行く都内パワースポット巡り&ランチ In 浅草 イベント・レポート


当日は、待乳山聖天(まつちやましょうでん)・浅草寺を巡って、浅草寺近くにあるレストランで昼食を取りました。普段の日常生活では、なかなか触れる機会のない様々な裏話しを聞くことができて、最初から最後まで興味は尽きませんでした。オフレコ的な話しが殆ど(?)でしたので、あまり具体的な話題をこの場で紹介することができません、あしからず。

浜離宮庭園の時と同様、以前の「ムー」の記事で、浅草周辺のパワースポットを小林さん本人が巡って紹介した記事が掲載されていました。その記事の中では、今回の待乳山聖天・浅草寺以外にも、幾つかの場所が紹介されていて、今回のパワスポ巡りで小林さんご本人から伺った話しなども参考にしながら、1週間後、改めて私1人で浅草周辺をじっくりと再訪してきました。今回は、その時の様子をお伝えしようと思います。

こちらも、小林さんが特にパワーが強いと感じた具体的な場所や地点については、この記事内では詳細は控えたいと思いますので、ご容赦くださいませ…。


牛島神社
隅田公園のすぐそばにある、本所の総鎮守、創建は9世紀頃と伝えられています。拝殿の正面には、普通の神社ではなかなかお目に掛かれない、立派な三輪鳥居があります。

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牛島神社では妖怪の牛鬼が神として祀られていて、境内には「撫牛」の像が置かれています。撫牛の風習は江戸時代からあるそうで、自分の体の悪い部分と同じ個所を撫でると、病気が直るというものですね。私が訪れていた時にも、地元の人らしき参拝者の方が、ツヤツヤと照り光る撫牛を触っていました。

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小林さんの解説によると、この撫牛には静的な癒しのパワーが感じられるとのこと。その一方、参拝者のほとんどが注目しない境内の一画に、かなり強いパワーが感じられる動物の像があると紹介しています。像を彫った人の強い生命力が、その像の中に込められているとのことで、周囲の人の目を幾分気にしながらも、しっかりと像に触れてきました。

今戸神社
牛島神社から隅田川を渡り、数分歩いた所に今戸神社があります。こちらも初めて訪れた神社です。ここ今戸は招き猫の原型が最初に作り出された場所といわれ、また良縁祈願の神社として知られているそうです。新撰組・沖田総司の終焉の場所でもあるそうです。先ほど訪れた牛島神社よりも賑やかな雰囲気で、観光人力車に乗ってやって来た若い女性連れや中高生など、若い世代の人たちが、ひっきりなしに参拝に来ていました。

今戸神社

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拝殿には巨大な招き猫が参拝者をお出迎えしています。境内には、参拝者が休憩できるスペースがあり、そこにはオシャレな洋風チェアーが…。何とも独特な雰囲気の漂う神社です。

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この神社の中で小林さんが特に強いパワーを感じたのが、とある一本の樹だそうです。普通の人には全く判断がつきませんが、境内の中にある木々の中でも、そのうち1つから強い気が放出されているそうで、しばらくの間、その樹の側に佇んで時間を過ごしました。

待乳山聖天
今戸神社から数分ほど離れた場所に待乳山聖天があります。金龍山浅草寺の支院で、正式な名称は「待乳山本龍院」といいます。「待乳山」という名前にあるように、浅草の待乳山は標高10mで東京都内の最低峰なのだそうです。江戸時代には眺望の名所と称され、大変賑わっていたようで、多くの浮世絵や詩歌などの題材ともなっています。

待乳山聖天

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境内には、巾着と二股大根のモチーフがあります。巾着は商売繁盛、大根は健康運や夫婦和合をもたらす歓喜天の御利益を表しているそうです。そのため参拝者の多くが大根をお供え物としており、本堂の中には沢山の大根が山のように積まれていました。

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先日の浅草パワスポ巡りの時、小林さんご本人から色々と教えてもらった聖天境内のスポットを今回、改めて確認しながら参拝しました。といっても、小林さんは歴史的な解説はほとんどせず、ご自身と聖天とのこれまでの関わりや、境内の中でも特に強い気が感じられる最強のスポットを、私たち参加者に教えてくれました。
確かにその場所に手をかざすと一瞬、微弱な電気のような感覚を覚えました。私のような普通の人間でも感じた程なので、逆に言えば、よほど強い気が放出されているのかもしれません。

ちなみに小林さん、初詣は毎年、待乳山聖天を参拝されているそうで、そこで引くお御籤の内容がかなりの確率で当るよ、と話していました。

某飲食店
小林さんが見つけるパワースポットの最大の特徴は、神社や仏閣だけではなく、街の中にある何の変哲もない場所や飲食店など、どう見てもここが本当にパワスポなの??と疑ってしまうような場所を、多く指摘されている点です

先日のパワスポ巡りの際、浅草寺近くのとある老舗の飲食店を教えられ、小林さんも浅草を訪れる時にはそのお店をよく利用している、という話しを伺いました。そんな興味深々な話しを聞いていたこともあり、今回、そのお店に入って昼食を取りました。今回は天重を注文、これぞ浅草!といった感じの食べ応えのある本格的な天重で、気持ちもお腹も大満足でした。

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浅草寺
昼食後、浅草散策の中心的な存在である浅草寺に向かいました。東京を代表する名所ということもあり、観光客でごった返していました。

浅草寺

浅草寺の境内はかなり広大ですが、その中でも小林さんが強いパワーを感じる場所というのが、実は誰もが必ず足を踏み入れる本殿の中にあるそうです。本殿の上を見上げると、天女や龍などの巨大な天井絵が描かれているのですが、その絵の中のとある箇所のちょうど真下の場所が、最も強いパワーが感じられる場所だそうで、そこに立って拝むと良いですよとアドバイスされました。それにしても、ひっきりなしに参拝客が次々と押し寄せ、じっと立っているのが大変なほどの人混みでした。

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ちなみに、上記の浅草寺のサイトを見ていたところ、本堂の天井絵の天女図は堂本印象、龍図は川端龍子の作品だと紹介されていました。誰もが知るこんな有名なお寺の本堂に、二人の巨匠がこんな大作を残していたとは…全く知りませんでした。

浅草のパワスポ巡りの様子は、以上の通りです。
普通に神社仏閣を散策するのも良いですが、私たちのような一般人には計り知れないような特殊な力を宿す場所があること、これもまた真実かと思います。色々な意味で浅草という土地の持つ奥深さを垣間見たような気がしました。

そんなこんなで、浅草寺の仲見世通りをブラついた後、まだ14時すぎで時間があったこともあり、今度は地下鉄に乗って上野駅へと向かうことにしました。(続く)




…と締めくくるつもりだったのですが、この記事をアップしようと作業していた時、何気なくつけていたテレビのチャンネルをNHKに替えたところ、歌手のサラ・ブライトマンを特集した音楽番組が放送されていました。それから数分もしないうちに、日本に来日したサラが浅草を訪れ、浅草寺や仲見世を巡るシーンが流れてきました
これはもう典型的なシンクロ現象ですね…。

NHK SONGS サラ・ブライトマン

当日の最後の目的地、芝の増上寺に到着しました。芝周辺には今まで何度も来たことがあったのですが、増上寺の境内をじっくり見学するのは今回が初めてです。

浄土宗大本山 増上寺

まずは増上寺の顔とも言える山門(正式名称は三解脱門)を入ります。「三解脱門」とは3つの煩悩「むさぼり(貪欲)、いかり(瞋恚)、おろかさ(愚痴)」を解脱して極楽浄土に入る心をつくるための門だそうです。同じ浄土宗の総本山、京都の知恩院の三門も巨大でしたが、こちらの山門も見上げるほどの大きさです。

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本堂に向かう前に、まずは境内を散策することに。まずは、境内の一番奥にある徳川将軍家霊廟へ。二代将軍の徳川秀忠公を初め、六人の将軍及び正室や子女が祀られています。かつての霊廟は、日光東照宮を凌ぐ壮麗さだったそうですが、空襲のため消失、現在の場所にまとめられたそうです。特別拝観の期間以外、中は非公開のため見学することはできません。墓所正面の門は旧国宝の鋳抜門。左右の扉には5つの葵紋と、その両脇には見事な龍が彫られています。

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増上寺の北側、御成門寄りに西向聖観世音菩薩があります。小さなお堂には、たくさんの風車が吊されており、その横には、子育て地蔵がずらりと並んでいます。

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境内の南の一画に熊野神社があります。正式名称は熊野三所大権現宮(ゆやさんしょだいごんげんぐう)。実は、私の産土神社(うぶすなじんじゃ)は葛飾区立石にある「熊野神社」で、熊野系の神社にはとてもご縁があります。増上寺の境内に熊野神社があるとは、これまで全く知りませんでした。これも何かのご縁のような気がします。熊野神社の眷属(けんぞく:神様の使いの動物)として有名な八咫烏が、手水舎の表面に彫られていました。

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本殿の右横に「安国殿」という建物があります。この名称は、徳川家康の戒名“安国院殿”に因むそうで、家康の念持仏であった黒本尊をお祀りしています。お香に薫じられて真っ黒なところから「黒本尊阿弥陀如来」と呼ばれますが、通常は非公開、年3回の祈願会の時だけ御開帳されます。こちらの安国殿の中で、御守り等の土産物が販売されています。

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次は鐘楼堂です。江戸三大名鐘の一つで、東日本では最大級とのこと。 江戸時代の川柳で「今鳴るは芝(増上寺)か上野(寛永寺)か浅草(浅草寺)か」と謳われています。都内近郊の多くの寺社の中でも、ここ増上寺の梵鐘で除夜の鐘を撞くと翌年の運気がアップするそうですよ。私はまだ撞いたことはありませんが…。

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境内の奥には第14代将軍徳川家茂の正室、皇女和宮ゆかりの茶室、貞恭庵があります。和宮は先ほどの徳川家霊廟にも祀られていますね。幕末の動乱期に運命を翻弄された和宮の人生が偲ばれます…。

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いよいよ本堂の「大殿(だいでん」)へ。本堂には阿弥陀如来、両脇壇に善導大師と法然上人の像が祀られています(本堂内の写真撮影はNGです)。中に足を踏み入れると、本堂内は極楽浄土を彷彿とさせる金色の世界…。暫くの間、堂内に置かれたイスに座り、本堂内に響く読経に耳を傾けました。

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以上に紹介した他にも、本当に数多くの見所があって、じっくり境内を参拝すると半日はかかりそうな規模の大伽藍です。今回、改めて徳川家の菩提寺である増上寺の歴史と、その奥深さに触れることができました。

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大倉集古館を後にしてしばらく歩いていると、東京タワーの手前の通りで偶然、コンパス定規・「」のマークが刻まれた石柱が見えてきました。あの“博愛を掲げる団体”のビルです。建物は一面ガラス張りで、中の様子は窺い知ることはできませんが、“謎学”に関心のある私としては素通りするわけには行きません。

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当然ながら私のような部外者は建物内には入れない訳ですが、立ち入り禁止の柵があるギリギリの所まで近づいてみると、ビル建築の際に設置された「定礎板」がありました。白い石で造られたかなり立派なものです。

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写真を見てもらうと分かりますが、「昭和56年5月吉日」の上に、何やら西暦とは明らかに異なる、見たことのない年月日「A.L.5981-5-23」が刻まれていました。この年月日をネットで検索したところ、以下のサイトが見つかりました。

定礎板

Anno Lucis(光の年)」という独自の暦を使っていたとは…。もう少しこの暦のことをネットで調べたところ、A.L.暦でちょうど6001年にあたる節目の年、この団体にとっては“非常に重要な年”と位置付けられているそうです。A.L.6001年は、西暦に直すと2001年となります。この年の9月11日、アメリカであの大事件が発生したわけですが、これは単なる偶然だったのでしょうか…。

また、定礎板にあった年代の下には、「高野清 KIYOSHI TAKANO GRAND MASTER」とあり、こちらもネットで調べてみたところ、興味深いサイトが見つかりました(かなり長い内容ですが、内部関係者からの話しなので、かなり真相を突いていると思います)。

日本人が知らない恐るべき真実

この世の中には私たちが及び知らない事、そして明らかにされていない事が、まだまだ沢山あるようです。

さて、東京タワーを仰ぎ見ながら、その隣にある芝公園へ。今回が初めての訪問となりますが、この公園の中には「知る人ぞ知る場所」があります。

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公園内を散策した後、最後の目的地、芝増上寺へと向かいました。
(続く)
泉屋博古館をあとにして次に向かったは、ホテルオークラ本館の敷地内にある大倉集古館、あまり知られていませんが日本最初の私設の美術館ですね。これまで何度も訪問したことがあるのですが、何と言ってもこの美術館、国の登録有形文化財に指定されており、建物自体も見所が一杯の美術館です。

大倉集古館
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今から20年以上前、大学4年生の時に初めて訪問したのですが、浦島太郎の物語に出てくる竜宮城のような一種異様な外観、そして時間が止まったかのような館内の張り詰めた空気感を、今でも鮮明に覚えています。私にとっては、かなり強烈な印象が残った建物でした。

その後、日本の近代建築の歴史を学んでいく中で、近代建築界の巨人「伊東忠太」が、この建物の設計者だということを知りました。洋風一辺倒の他の近代建築家とは異なり、世界を巡って各地の建築・文化を調査し、様々な国や地域の要素を融合して建物を設計した、オリジナリティに溢れた唯一無二の建築家です。

築地本願寺、靖国神社の遊就館、震災記念堂、明治神宮、京都の祇園閣、平安神宮など、現存する忠太の建物をこれまで色々と見て廻りましたが、その中でもこの大倉集古館は築地本願寺と並んで、彼の意匠の特徴が存分に表現された建物だと言えます。

そういえば昨年の冬、雑誌『東京人』12月号で「異形の建築家・伊東忠太」という特集記事が組まれ、書店で見つけて即買いしました。忠太の生前の活動や思想、現存する建築物の特徴などを改めて知る良い機会となりました。

伊東忠太はまた妖怪博士の異名を持つほど、鬼や妖怪といった異形の生き物に関心を持ったそうで、自ら設計した多くの建物の中に、空想上の動物や怪獣の彫像を配したことで知られます。彼の建築物を見学する時、建物の中にどんな彫刻が施されているかを探し出すのも、楽しみの1つです。

ちなみに私の中で妖怪博士というと、ゲゲゲの鬼太郎の作者の水木しげる先生、妖怪を体系的に研究した東洋大学の創設者の井上円了博士、そしてこの伊東忠太の三人が真っ先に思い浮かびます(井上円了については、機会を改めてまた記事にしたいと思っています…)。

館内の展示作品を鑑賞する前に、まずは建物の外観と周囲の庭を見学。
石積みの重厚な壁面、青緑色の銅板葺の屋根、朱色の門・窓・扉、亀甲型の窓など、やはり中国風のデザインが色濃く見える建物です。

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前庭の奥には、大倉集古館の創設者、大倉喜八郎がベンチに座る像が置かれています。写真を見てもわかるように、ベンチの片方が空いているので喜八郎翁と並んで座ることができます。

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美術館の裏庭にまわると、忠太の建築でおなじみの動物の彫像、亀と龍のかなり大きな銅像が置かれていてました。どちらも物凄い迫力で、「激突!ガメラ対キングギドラ」といった様相でした。ほかにも裏庭には、立派な石塔や石碑がズラリと並んでいました。

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建物をぐるりと一周していよいよ館内に入ろうとすると、力強い金剛力士像が来訪者に睨みをきかせています。

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今回、館内では「画の東西~近世近代絵画による美の競演・西から東から~」という企画展が開催中で、西は円山四条派、京都画壇の作品、東は江戸狩野派・横山大観を初めとする作品など、いずれも私の好みの流派・画家の作品がズラリと展示されていました。狩野派の屏風画や、横山大観の「瀟湘八景」など、これぞまさに“王道”といった感じの風格ある作品も見応えがあったのでが、なかでも特に印象に残ったのは、松花堂昭乗の「布袋各様図鑑」という作品です。

松花堂昭乗は江戸時代、書や画、茶道に通じた京都の文化人ですね。彼の描いた画をこれまで見る機会がなかったのですが、今回鑑賞した「布袋各様図鑑」は、布袋様の愛くるしい笑顔がとても印象的な、見る人の気持ちを和ませてくれる不思議な力を持つ作品でした。意識した訳ではなかったのですが、泉屋博古館で見た吉祥のモチーフと同様、布袋様は縁起物の代表的な存在ですね。

館内の展示作品をひと通り見終ったあと、2階のテラスの出ました。こちらも中国風の意匠が凝らされています。真正面にはホテルオークラの本館があります。

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大倉集古館は本当に、いつ訪れても見所満載の美術館です。まさに“都心の中に残る異形の空間”といった存在です。展覧会を鑑賞し終わったあと、ホテルの喫茶店で一服したかったのですが、冬のこの時期は日が暮れるのが早いため、後ろ髪をひかれながら次の目的地へと向かいました。
(続く)
先日、港区の神谷町駅の周辺(六本木・虎の門・芝公園)を一日かけて散策してきました。このあたりのエリアは久しぶりの訪問となります。

まず最初に訪れたのは、六本木一丁目駅の近くにある泉屋博古館分館(せんおくはくこかん)です。超高層ビル(泉ガーデンタワー)のすぐそばに建つ、モダンな外観の美術館です。

泉屋博古館
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上記のサイトにも解説がありますが、こちらの美術館の所蔵品の中心は、住友グループ(住友家)の15代当主のコレクションがベースになっていますが、この六本木の施設は、京都本館の「分館」にあります。数年前の冬、京都旅行で平安神宮の周辺でお寺巡りをしていた時、たまたま泉屋博古館本館の前を通りかかったのですが、休館中で見学できませんでした。

その後、東京に分館があると知って足を運んだことがあり、今回が二度目の訪問となります。こちらの分館は、泉ガーデンのオープンに合わせて約10年ほど前に開館した、まだまだ新しい雰囲気が感じられる美術館です。前回訪問するまで知らなかったのですが、「泉屋」という名前は江戸時代の住友家の屋号なのだそうです。

今回は「吉祥のかたち」という企画展が開かれていました。新春という季節がら、何ともお目出度い企画ですね。この美術館は、もともと中国古代の青銅器のコレクションが有名で、今回も、吉祥を象徴する麒麟・鳳凰・龍などが施された青銅器の作品が、整然と並んでいました。普段、あまり見る機会がないこともあって、青銅器の表面を飾る彫刻の緻密さに、思わず見入ってしまいました。

展示会場では他に、絵画作品も数多く展示されていましたが、その中でも特に目を惹かれたのは、狩野芳崖の「寿老人」という作品でした。

狩野芳崖 寿老人

墨画ですので、見た目は決して華やかな作品とは言えませんが、寿老人、松竹梅、白鹿に鶴など、吉祥の象徴であるモーフがてんこ盛りで、これぞまさに新春に相応しい縁起物、といった感じの作品でした。

実物の絵を間近で見た時にも気づいたのですが、作品をよく見ると、画面の右側に蝙蝠(コウモリ)が描かれています。正直、なぜここにコウモリが…という気がしたのですが、中国では吉祥を表す動物の一つなのだそうです。もう少し詳しく調べてみたところ、中国の吉祥図案に関して紹介したサイトが見つかりました。

中国吉祥図案

これは面白いです…。日本と共通する図案が殆どですが、コウモリの他にも、ラクダ・狼・蜘蛛・コオロギ・蝉・インコなど、中国オリジナルの吉祥のモチーフが存在することが分かりました。まだまだ知らないことが沢山あります。

数々の縁起物の作品を鑑賞し終えた後、歩いて数分ほどの大倉集古館へと向かいました。
(続く)