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さて、小川三知の業績やその時代を調べてみると、彼が活躍する少し前の時期、日本で最初にステンドグラスを製作した宇野澤辰雄という人物がいたことが分かりました。宇野澤はドイツ、小川はアメリカに留学して技法を学び、帰国後、ともに工房を開いたのちは、日本におけるステンドグランスの二大流派となったそうです。
その後、時代が下って現在、松本ステンドグラス製作所という会社が、宇野澤や小川たちの確立した技法を継承して、ステンドグラスの製作を行っているそうです。(会社組織としては、宇野澤の興した製作所の系譜を受け継ぐ工房だそうです)
株式会社松本ステンドグラス製作所
今回、科学博物館で見学したステンドグラス、2006年に改修・修復作業が行われたそうなのですが、その作業を担当したのが松本ステンドグラス製作所だそうです。上記のサイトで、今回見学した科博のステンドグラスの修復に関する資料や写真等が紹介されているページを見つけました。修復前と修復後のステンドグラスの色合いの違いなど、かなり興味深い資料が見られます。
2006 国立科学博物館 ステンドグラス修復
上記のサイトには、自社でデザイン・製作を手掛けた作品以外に、今回の科博のステンドグラスのような、過去に製作された作品を修復して色鮮やかに復元した作品例も数多く紹介されていますが、その中に数か月前、旅行先で思いがけず目にしたステンドグラスがあり、本当に驚きました…。
このブログを開始する少し前、昨年9月に妻と名古屋旅行に行ってきました。旅行初日、名古屋市の中心部にある「文化のみち」という歴史的建築物が数多く残されている一画を散策した時、旧川上貞奴邸を見学しました。オレンジ色の屋根瓦が目に眩しい、実に美しい西洋館です。
名古屋市文化のみち二葉館


川上貞奴は明治時代、欧米巡業で一世を風靡した女優で「日本の女優第1号」とも呼ばれる人物ですね。館内には、彼女に関連する歴史的な資料などが展示されています。



レトロな雰囲気の漂う建物の中でも、特に目を引いたのが、館内の随所に残るステンドグラスでした。
テラスの出入り口のガラス一面に広がる草花、多角形の出窓上部のガラスに描かれた青い山脈、それに音楽と舞踏に興じる三美人。どれも色鮮やかな素晴らしい作品で、かなり強烈な印象が残っていました。これらの作品の修復に、松本ステンドグラス製作所が関わっていたとは…。





今回、科博のステンドグラスをきっかけに、松本ステンドグラス製作所の活動や、名古屋旅行のエピソードなど、思わぬ展開となりましたが、今まで知らなかった新しい発見が出来て、今回も良い勉強になりました。
…といいつつ、実は数日前、小川三知が手掛けた作品が残る、都内某所にある歴史的な建造物を見学しに行きました。念願叶っての初訪問、ステンドグラス以外にも見所満載の建物でした。その時の様子は、また改めて報告したいと思います。
その後、時代が下って現在、松本ステンドグラス製作所という会社が、宇野澤や小川たちの確立した技法を継承して、ステンドグラスの製作を行っているそうです。(会社組織としては、宇野澤の興した製作所の系譜を受け継ぐ工房だそうです)
株式会社松本ステンドグラス製作所
今回、科学博物館で見学したステンドグラス、2006年に改修・修復作業が行われたそうなのですが、その作業を担当したのが松本ステンドグラス製作所だそうです。上記のサイトで、今回見学した科博のステンドグラスの修復に関する資料や写真等が紹介されているページを見つけました。修復前と修復後のステンドグラスの色合いの違いなど、かなり興味深い資料が見られます。
2006 国立科学博物館 ステンドグラス修復
上記のサイトには、自社でデザイン・製作を手掛けた作品以外に、今回の科博のステンドグラスのような、過去に製作された作品を修復して色鮮やかに復元した作品例も数多く紹介されていますが、その中に数か月前、旅行先で思いがけず目にしたステンドグラスがあり、本当に驚きました…。
このブログを開始する少し前、昨年9月に妻と名古屋旅行に行ってきました。旅行初日、名古屋市の中心部にある「文化のみち」という歴史的建築物が数多く残されている一画を散策した時、旧川上貞奴邸を見学しました。オレンジ色の屋根瓦が目に眩しい、実に美しい西洋館です。
名古屋市文化のみち二葉館


川上貞奴は明治時代、欧米巡業で一世を風靡した女優で「日本の女優第1号」とも呼ばれる人物ですね。館内には、彼女に関連する歴史的な資料などが展示されています。



レトロな雰囲気の漂う建物の中でも、特に目を引いたのが、館内の随所に残るステンドグラスでした。
テラスの出入り口のガラス一面に広がる草花、多角形の出窓上部のガラスに描かれた青い山脈、それに音楽と舞踏に興じる三美人。どれも色鮮やかな素晴らしい作品で、かなり強烈な印象が残っていました。これらの作品の修復に、松本ステンドグラス製作所が関わっていたとは…。





今回、科博のステンドグラスをきっかけに、松本ステンドグラス製作所の活動や、名古屋旅行のエピソードなど、思わぬ展開となりましたが、今まで知らなかった新しい発見が出来て、今回も良い勉強になりました。
…といいつつ、実は数日前、小川三知が手掛けた作品が残る、都内某所にある歴史的な建造物を見学しに行きました。念願叶っての初訪問、ステンドグラス以外にも見所満載の建物でした。その時の様子は、また改めて報告したいと思います。
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牧野富太郎展の会場を後にして、いよいよ東京国立科学博物館・日本館内に残る小川三知のステンドグラスの作品を観に行きました。小川三知については先日(1/20)の記事にも書いたように、新宿伊勢丹の屋上階で見つけた作品をきっかけに知ることとなった、日本のステンドグラス界の創始者の1人です。
クラシックな雰囲気が漂う階段を上っていくと、階段の踊り場の壁面に、左右一対の瑞鳥(鳳凰)をモチーフにした小作品が見えてきました。こんな意外な場所に作品が残っているとは…。


さらに階段を上がると最上階の天井一面に、草花をモチーフにした巨大な半円形のステンドグラスが広がっていました。これほど見事で立派な作品を間近で鑑賞したのは多分、今回が初めての経験です。作品が放つ華麗で豪奢な美しさに、しばし言葉を失ってしまいました。これは必見です。


そして館内の中央部、1Fから3Fまで吹き抜けとなっている天井部分の四方に、こちらも半円形の巨大なステンドグランスが飾られています。先ほど見学したステンドグラスのモチーフをミックスしたような、草花と瑞鳥の両方が描かれた作品です。


さらにドーム状の屋根の最頂部を見上げると、8枚の花弁をあしらった花の文様のステンドグラスがわずかに肉眼で確認できます。デジカメでズームして撮影すると、そのデザインが良く分かります。


館内にこれほど多くの作品が残っているとは正直、知りませんでした。素晴らしい作品に出会えてつくづく良かった…と感じた次第です。帰宅後、博物館内に残る小川三知の作品を改めて詳しく調べてみようと思い、ネットであれこれと検索していたところ、ステンドグラスは当初、小川三知がデザイン・製作共に行う予定だったものの、昭和3年(1928年)に三知が病死したため、建築家の伊東忠太が代わってデザインを担当し、ステンドグラスの製作は小川三知の夫人と弟子が、遺された工房を引き継いで行ったそうです。
何ともはや、こんな所でまた再び「伊東忠太」の名前が出てくるとは…。先日(2/5)の大倉集古館の訪問記事の中で、伊東忠太について言及したばかりだったこともあり、彼のマルチな才能ぶりに、改めて驚かされることとなりました。さらに今回、三知の工房の歴史を調べてみると、色々なことが分かってきました。少々長くなりそうな展開となってきたため、続きは次回ということで…。
(続く)
クラシックな雰囲気が漂う階段を上っていくと、階段の踊り場の壁面に、左右一対の瑞鳥(鳳凰)をモチーフにした小作品が見えてきました。こんな意外な場所に作品が残っているとは…。


さらに階段を上がると最上階の天井一面に、草花をモチーフにした巨大な半円形のステンドグラスが広がっていました。これほど見事で立派な作品を間近で鑑賞したのは多分、今回が初めての経験です。作品が放つ華麗で豪奢な美しさに、しばし言葉を失ってしまいました。これは必見です。


そして館内の中央部、1Fから3Fまで吹き抜けとなっている天井部分の四方に、こちらも半円形の巨大なステンドグランスが飾られています。先ほど見学したステンドグラスのモチーフをミックスしたような、草花と瑞鳥の両方が描かれた作品です。


さらにドーム状の屋根の最頂部を見上げると、8枚の花弁をあしらった花の文様のステンドグラスがわずかに肉眼で確認できます。デジカメでズームして撮影すると、そのデザインが良く分かります。


館内にこれほど多くの作品が残っているとは正直、知りませんでした。素晴らしい作品に出会えてつくづく良かった…と感じた次第です。帰宅後、博物館内に残る小川三知の作品を改めて詳しく調べてみようと思い、ネットであれこれと検索していたところ、ステンドグラスは当初、小川三知がデザイン・製作共に行う予定だったものの、昭和3年(1928年)に三知が病死したため、建築家の伊東忠太が代わってデザインを担当し、ステンドグラスの製作は小川三知の夫人と弟子が、遺された工房を引き継いで行ったそうです。
何ともはや、こんな所でまた再び「伊東忠太」の名前が出てくるとは…。先日(2/5)の大倉集古館の訪問記事の中で、伊東忠太について言及したばかりだったこともあり、彼のマルチな才能ぶりに、改めて驚かされることとなりました。さらに今回、三知の工房の歴史を調べてみると、色々なことが分かってきました。少々長くなりそうな展開となってきたため、続きは次回ということで…。
(続く)