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4月の初め、古都・鎌倉をぶらりと散策してきました。同じ神奈川県内に住んでいるにも関わらず、東京に近い港北ニュータウンで生活する私にとって、小1時間かけて鎌倉に行くのは“小旅行”といった感じで、これまで足を運ぶ機会がありませんでした。このブログを開始する直前、半年ほど前に、十数年ぶりに鶴岡八幡宮を中心に散策したのですが、今回はその時に見学できなかった箇所を中心に見て廻りました。

銭洗弁財天宇賀福神社

鎌倉の名所旧跡の中でも、特に金運にご利益があるということで老若男女問わず、非常に人気のある場所ですが、今回が初めての訪問となります。急な坂道を上った所に、社名を刻んだ立派な石板と鳥居があります。真っ暗な手掘りのトンネルを進んだ先に境内があります。何とも雰囲気があります。

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中に入ると鳥居が並び立ち、それほど広くない敷地内にかなり多くの参拝者がいて、境内は熱気にあふれていました。

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社務所で受付をしてローソクとザル(お金を洗う時に使う)をもらい、まずは本社の宇賀福神社で参拝を済ませます。押すな押すなの混雑ぶりです。

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その後、社のすぐ横にある、奥宮とよばれる洞窟に入り、そこに祀られている宇賀神・弁財天へお参りしたあと、銭洗いを行います。ザルにお金を入れて湧水の清水で洗いますが、今回は千円札を洗いました。どうか金運が上昇しますように…。

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境内には他にも小さな神社が幾つかあり、そちらも併せて参拝しました。小さな滝が流れ落ちる池の水がとても澄んでいて、沢山の鯉たちが優雅に泳いでいました。

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銭洗弁財天に祀られている宇賀神ですが、「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」に由来するものとされ、その姿はとぐろを巻く蛇の体に、老人や女性の頭を持つという、異形の神様として知られています。仏教の弁財天と神仏習合して「宇賀弁財天」とも呼ばれるようになりますが、今回、境内を何気なく歩いていると、ある石版を見つけました。これぞ、宇賀弁財天の姿を表したものですね。他の神社では、なかなか見る機会のない代物ですが、ほとんどの参拝者の人たちは全く目にも留めない様子でした。

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鎌倉大仏高徳院

銭洗弁財天から歩いて20分少々の距離ということもあり今回、十数年ぶりに大仏さまのお姿を拝みに行きました。それにしても先ほどの弁財天とは違い、こちらは見学客の7~8割が外国人の観光客で、さすが鎌倉随一の観光名所だと実感しました。そういえば受付で入場券を買う際にも、女性の係員に「one(1人)?
と英語で尋ねられ、一瞬、返答に窮してしまいました。

高徳院は浄土宗の寺院、大仏は銅製の阿弥陀如来坐像で勿論、国宝に指定されています。後世の補修が多い奈良・東大寺の大仏に比べて、ほぼ造像当初の姿を保っています。かつては大仏を覆う大仏殿が建てられ、室町時代に発生した地震と津波の影響で倒壊したと伝えられえいますが(=私もその認識でいましたが)、実際のところ、地震が発生する以前から、すでに大仏が露地の状態だったという記録が残っているそうです。鎌倉大仏を巡る歴史に関しては、意外にも不明な点が多いのだそうです。

大仏様のお姿です。やや猫背気味ではありますが、堂々とした風格が感じられます。

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今回、初めて大仏様の内部を見学しました。階段を降りて薄暗い胎内へ。頭と胴体をつなぐ首の部分(茶色の丸い部分)は、頭の重さを支えるために強化プラスチックで補強されているそうです。大仏さまの背中にあった明りとりの扉も、中から見たらこんな感じでした…。

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高徳院の大仏さまをゆっくり見学した後、今回の鎌倉散策の一番の目的地へと向かいましたが、少々長くなりますので、続きは次回ということで。

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(前回の続き)

1階の見学を終えて2階に上ると、小部屋が幾つかあります。かつては使用人が住んでいたそう、現在はブライダル時の新郎・新婦の控え室として利用されています。部屋の片隅に置かれた中国・清朝風のド派手な調度品に、思わず目を奪われました。

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2階の中央を貫く廊下の先には、開放感たっぷりの屋上が広がっています。屋上の一部には芝生や小さな花畑があり、まさに「空中庭園」といった趣です。屋上にある藤棚はパラーゴと呼ばれるもので、設計図や竣工当時の写真を元に復元されたものだそうです。

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屋上から見下ろした庭園の眺め、そしてエメラルドグリーンのスペイン瓦の屋根です。

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屋上の床面に敷き詰められた独特なデザインのタイルは、竣工当時のものをそのまま使用しているそうです。

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スペイン建築の特徴のひとつであるパティオ(中庭)が邸内の中央部にあります。階段を通じて屋上と地上がつながっており、上下を自由に行き来できる導線となっています。日差しが豊かな南国スペインならではの建築様式ですね。

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そのパティオの奥には、岩場の水に手を浸す女性像があります。この像は当主(小笠原長幹)本人が製作したそうです。長幹は芸術に対する造詣が深く、彫刻家の朝倉文夫に師事していた経歴を持つそうです。
朝倉文夫…私の通っていた大学の構内に朝倉の作品がありました。それに台東区谷中にある朝倉彫塑館、東京の実家からそう遠くない場所にあったので、何度も足を運んだ馴染みの場所でもあります。小笠原伯爵邸は「小鳥の館」ですが、朝倉の邸宅はまさに「猫の館」でした。

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パティオの一画、階段下にある扉にも、女性のレリーフがはめ込まれています。こちらは、かつて撮影された写真を元に、イタリアで復元製作された作品だそうです。

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パティオから再び邸内に入り、まだ撮影していない見所があることを思い出しました。長年にわたり破損を免れて残った照明器具です。小笠原家の家紋「三階菱」の文様がデザインされており、邸内で三階菱の家紋が残っているのは唯一、このランプだけだそうです。しかし、このランプが何処にあるのか場所が分からず、結局、館内の女性スタッフに尋ねたところ、「見学者は立ち入り禁止の物置部屋にあります」と告げられました。

ガ~ン。「そうなんですか、残念です…」と肩を落とした私の姿を見て、何とその女性スタッフが、私のデジカメを持って物置部屋に入り、私に代わって写真を撮ってきてくれたのです!こんな対応をしてくれるとは、涙が出るくらいに感激しました…。伯爵邸の見学者の中でも多分、このランプを撮影した人はほとんどいないはずです。

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邸内をひと通り見学し終えたあと、今度は建物の外観と庭園の様子を見るため屋外に出ました。

玄関を出るとすぐ、何やらをモチーフにした石版があるのに気づきました。烏帽子(えぼし)を被り、御幣(ごへい)を持った姿です。以前の記事にも書いた通り、私自身、申年生まれということもあって、動物の中でも特にお猿さんが大好きなのですが、鳥好きな小笠原伯爵が何故、猿をモチーフにした像を壁面に嵌め込んだのか、見当がつきませんでした。

しかし、先ほど館内の受付でもらったパンフレットの説明を読んで納得…。これは鬼門除けの石版なのだそうです。石版がある場所が、ちょうど邸宅の北東の角、いわゆる「鬼門」に位置しており、日吉大社の眷族(けんぞく:神様の使いの動物)である猿の像が配置されているとのこと。日吉大社(山王社)のある比叡山は、平安京の北東(鬼門)に位置し、都に降りかかる災厄を防ぐ役割を担っていたことから、山王社の使いである猿が鬼門封じの象徴として用いられた、という訳ですね。
「神社検定」で勉強した知識が活かされました…。

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邸宅の横道を進んで歩いて行くと、その奥に庭園が広がっています。手入れが行き届いた綺麗なお庭です。水は出ていませんでしたが庭園の中央にある噴水、こちらにも鳥の姿が施されていて、台座の部分には優雅な白鳥の姿も見られます。

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庭園の一画には、鶏をモチーフにした大きな窯が置いてあります。こちらは新しく造られた物だそうで、建物の修復時、かつて地下にあったボイラーの鉄釜を再利用して製作されたとのこと。本当に鳥づくしの館です。

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庭園側から眺めた邸宅の外観です。何と言っても、シガールームの半円形の外壁部分に施された装飾の素晴らしさに圧倒されます。古磁器の色使いにおいて日本の第一人者と言われる、小森忍の作品だそうです。
中央に太陽が輝き、花々が散りばめられた構図で、「生命の賛歌」がモチーフだそうです。改修以前、1600のパーツの殆どが剥がれ落ちていたものの、当時の色タイルの発色を一枚一枚確認しながら焼き上げ、往時の姿に戻したとのこと。あまりの素晴らしさに、夢中で写真を撮り続けました。

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そのシガールームの外壁の一部に、定礎版がはめ込まれています。古代ギリシアの建築現場の風景を彷彿とさせるような、とても洒落たデザインです。
陶板製の定礎版で、板面には「Sone&Chujo,ARCHITECTS.1926.A.D. 」とあり、曽禰中條建築事務所の設計であることが示されています。自分の建築作品に自分の名を入れることを殆どしなかったという彼らが、このような立派な定礎板を造り、最も目立つシガールームの外壁にはめ込んだのには、それだけ強い思いがこの邸宅の設計に込められていたのでしょう。定礎版それ自体が、ひとつの芸術作品です。

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以上が小笠原伯爵邸の見学の様子です。私自身、これまでかなり多くの近代建築・西洋館を見学してきましたが、今回は久しぶりに興奮しました。スパニッシュ様式という独特の建築様式もさることながら、一時は取り壊しの危機に瀕した建物を、多額の改修費用を負担して往時の姿に復元した、現在邸内でレストランを運営している民間企業の熱意と本気ぶりに心底感服しました。

建物も一流なら、お食事も一流。今度はぜひ妻を連れて、この美しい洋館でディナーを堪能してみたい…。
そんな思いを抱きつつ、家路につきました。

内藤多仲博士記念館を後にして向かった先は、若松河田町駅のすぐ近くにある小笠原伯爵邸です。
以前から噂に聞いていた歴史的な建物で、機会があれば一度訪れてみたいと思っていた憧れの場所です。

小笠原伯爵邸

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伯爵邸は現在、スペイン料理の専門店として利用され、ミシュランガイドで毎年を獲得するほどの高級レストランとして知られています。通常、食事の利用者でないと入館できないのですが、先月、たまたま同店のHPを覗いていたところ「小笠原伯爵邸内公開日のご案内」のお知らせが…。このチャンスを逃す手はない!ということで、すぐに申込み手続きをして今回、念願叶っての初訪問となりました。

上記のサイト内でも紹介されていますが、この建物は小笠原家第30代当主の小笠原長幹(ながよし)伯爵の本邸として造られました。小笠原家といえば豊前小倉藩主、この邸宅の敷地もかつて小倉藩の下屋敷があった場所だそうです。小倉といえば十年以上前に一度、訪問したことがありますが、数か月前、私が毎週観ているBS朝日「城下町へ行こう」で小倉の城下町が放送されていました。

歴史発見・城下町へ行こう 小倉の城下町(BS朝日)

番組では、江戸時代初期より小倉藩を治めた初代藩主、小笠原忠真(たたざね)のエピソードが紹介されていました。忠真は、父方の曽祖父が徳川家康母方の曽祖父が織田信長という生粋の血筋で、九州探題の任を受けて西国の外様大名の監視を行い、幕府公認の大型軍用船を保有して小笠原水軍を指揮した強者だったそうです。

それから番組では、小笠原家に伝わる「小笠原礼法」が紹介されていました。それまで私自身、礼法の事についてはほとんど知識がなかったのですが、日本人の生活に根付いているさまざまな所作・作法・マナーの中に、小笠原流礼法の影響があることを知りました。例えば、日本の道路が左側通行なのは、小笠原流礼法の影響によるものだそうで(=左側の腰に差した刀が、道ですれ違い様にぶつからないように左側を歩く)、礼法の奥深さの一端を知ることができました。

小笠原流礼法

伯爵邸の設計を担当したのは曽禰中條建築事務所で、昭和2年(1927年)の竣工。曽根中條事務所といえば港区三田の慶応義塾大学図書館が有名ですね(ちなみに図書館内には、小川三知のステンドグラスがあります)。曽禰中條事務所は、曽禰達蔵と中條精一郎の共同経営の事務所でしたが、色々と調べたところ、曽禰達蔵は小倉藩の分家にあたる唐津藩の出身だそうです。そんな繋がりもあって、邸宅の設計を担当したのでしょうか…。

建物は当時流行したというスパニッシュ様式を特徴としています。戦後、邸宅はさまざまな用途に利用され、一時は解体の危機に瀕したものの大規模な修復工事を経て、かつての伯爵家の栄華が再現された非常に稀有な建物です。


前段が少々長くなりましたが、それでは邸宅の様子をお伝えしましょう。
正面玄関の真上には、テラコッタの装飾と、ブドウ棚をデザインしたガラス製のキャノピーがあります。曲線が美しい装飾的な意匠です。入口の脇では、鳥をかたどった植木がお出迎えしてくれます。何ともユーモラスです。

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エントランスの扉上部にも鉄製の装飾が施されており、鳥カゴに入った小鳥がデザインされています。邸
内には随所に小鳥のモチーフがあり、別名「小鳥の館」とも呼ばれていたそうです。

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玄関ホールに入ると、天井にある美しいステンドグラスが目に飛び込んできます。青空を飛翔する鳥の群れの姿、遠近法を用いた珍しい構図となっています。これが小川三知がデザインしたステンドグラスです。かつて邸宅内で撮影したステンドグラスの写真を参考に、イタリアで忠実に復元製作されたものだそうです。この作品に込められた様々な人たちの思いが伝わってきます。

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玄関ホールの受付で、邸内の詳しい説明が記載されたパンフレットをもらった後、まず最初に入った部屋は、かつての伯爵家の正餐用の食堂です。中央にある大テーブルは当時、伯爵家で実際に使用されていたもので、唯一現存する家具だそうです。何ともシックな落ち着いた空間です。

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食堂の隣には、かつて応接間として利用された部屋があります。家具や照明器具をヨーロッパから取り寄せ、当時のままに再現されているそうです。私も含めて見学者の多くが、この部屋のソファに座ってくつろいでいました。自然とそんな気分にさせてくれる、何とも優雅な空間でした。

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この部屋の窓の一画には、小川三知がデザインしたもう1つのステンドグラスが残っています。こちらは、小花を吹き寄せたような可憐なデザインで、白を基調とした明るい部屋の雰囲気にピッタリの作品です。窓の手前には、さりげなく小川三知の本が置かれていました。何とも粋な計らいです。

「日本のステンドグラス 小川三知の世界」

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応接間の更に奥に進むと、この邸宅の一番の見所とも言われるシガールーム(喫煙室)があります。
この部屋だけは、まさに“別世界”といった印象でした
床・天井・扉・壁面・調度品に至るまで、イスラム風のデザインが散りばめられています。ヨーロッパで愛用された煙草や葉巻がトルコやエジプトから入ってきたことから、当時の西洋館の喫煙室はイスラム風に造るのが習わしで、紫煙が漂う中、男性のみが語らう憩いの場所だったそうです。私は煙草は吸いませんが、この場所にいると何故だか葉巻を手にしたい気持ちになりました…。

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現在、レストランのテラス席として利用されている空間は、かつてはベランダだったそうです。庭に面した眺めの良いスペースで、ごく身内で食事をする時にも利用された場所だそうです。テラス席の横には、レストランのメインルームが広がっています。

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1階の主な部屋を見学し終え、次に2階に上ろうとしたところ、邸内の奥まった場所に、赤い2つの扉があるのに気づきました(勿論、立ち入りは禁止です)。こちらのお部屋で小笠原流礼法の授業が行なわれているそうです。上で紹介した小笠原流礼法のHPでも紹介されていますが、敬承斎さんは女性初の宗家なのだそうです。見目麗しい方のようですね…。

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階段を上がって2階へ向かいましたが、まだまだ見所が盛り沢山のため、続きは次回ということで…。
(続く)

先日(3/28)の記事の最後でチラッと事前予告していましたが、3月末に新宿区河田町にある歴史的な建造物を見学しに行きました。その見学記については次回の記事で詳しく紹介しますが、訪問に先だって周辺の情報をネットで事前に調べたところ、今回の目的地のすぐ近くに内藤多仲博士記念館があることを知りました。記念館といっても通常は非公開、通り沿いから建物の外観を見学できるとのことだったので、写真だけでも収めておこう…ということで、足を運んできました。以下、その時に撮影した写真です。

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見ての通り、取り立てて特徴のある建物ではありません。ただ、私としてはどうしても、内藤博士が実際に暮らしていた自宅の様子を、この目で見ておきたかったのです…。

内藤多仲(ないとうたちゅう)… 知る人ぞ知る“塔博士”ですね。恥ずかしながら、博士については数年前まで名前さえ知らなかったのですが、以前、偶然に見たテレビ番組でその業績が取り上げられたのを通じて知りました。以降、いろいろな資料や書籍を通じて、戦後の建築(特に耐震構造建築)に多大な貢献を果たした人物であることを学びました。博士の経歴や設計物について、ウィキペディアで詳しく説明されています。

内藤多仲(Wikipedia)

1950~60年代にかけて、日本の主要な大都市に建造されたタワーは、ほとんどが内藤博士の手によるものです。なかでも、東京タワーを筆頭に、全国に残る内藤博士が設計した6つのタワーを「タワー六兄弟」と呼ぶそうです。私自身、ここ数年の間に全国各地を訪れる機会があり、それらのタワーの多くを見に行ったり、実際に展望台まで上って眺望を楽しんできました。今回、せっかくの機会なので、それぞれのタワーを訪問した時の思い出を振り返ってみたいと思います。建造年の古い、六兄弟の長男から順を追って紹介しましょう。

六兄弟の長男 名古屋テレビ塔(1954年、180m)
2012年9月、名古屋旅行の際に昇ってきました。訪問した少し前、塔が全面的にリニューアルされたらしく、予想以上に綺麗だった印象があります。展望フロアの上の階にあがると、一面金網で覆われた屋外に出られる屋上があり、かなり衝撃的でした。

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六兄弟の次男 大阪通天閣(1956年、103m)
2010年6月、大阪旅行の際に昇ってきました。実際に展望フロアに昇ってみると分かりますが、塔が微妙に揺れているのが感じられ、一瞬、背筋が寒くなった記憶があります。通天閣名物、ビリケン像の足の裏も撫でてきました。通天閣の下を通る商店街、浪速独特の濃~い雰囲気を漂わせていました。

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六兄弟の三男 別府タワー(1956年、90m)2011.09.28
2011年9月、九州旅行で大分・別府を訪れた際に見に行きました。私も含めて、関東圏に住む人にとっては、かなり馴染の薄いタワーかと思います。別府を訪れたのはその時が初めてで、せっかくの機会なのでタワーに昇ろうと足を運んだところ、衝撃の展開が…。何と、訪問した日(水曜日)は展望台が定休日とのことで、タワーに昇ることができませんでした。本当に残念…。ちなみに、別府タワーの公式サイトを覗いてみたところ、内藤博士の業績が動画で紹介されていました。タワー六兄弟の中でも、内藤博士を最もインスパイアしている様子が伝わってきます

別府タワー

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六兄弟の四男 さっぽろテレビ塔(1957年、147.2m)2007.8.25
2007年8月、北海道旅行で札幌を訪れた際に昇りました。テレビ塔に昇ったのは夜の時間帯で、塔の真下を貫く大通り公園や、その先にある大倉山ジャンプ台など、札幌市内の夜景を堪能しました。タワーの外観のライトアップも時間によって変わり、とても美しかった記憶があります。

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六兄弟の五男 東京タワー(1958年、332.6m)2013.02.01
長年にわたって自立式電波塔として日本一の高さを誇った、東京を象徴するタワーです。あえて説明するまでもありません。内藤博士の代表作とも言える超高層建築物ですね。2013年2月、少し前のブログの記事にも書いたように、芝公園周辺を散策した際に近辺を歩き、タワーの雄姿を撮影しました。

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六兄弟の六男 博多ポートタワー(1964年、100m)
これまでに博多は3回ほど訪問した機会があるのですが、この六男のタワーだけは残念ながら、きちんと見学した機会が一度も無く、他の兄弟たちのように思い出を語ることができない状況です…。いつになるか分かりませんが先々、福岡を訪れる機会ができた暁には、しっかりとタワーを見てきたいと思います。


内藤博士の業績を知るにつけ、博士はもっと多くの人に知られて然るべき人物だと、つくづく感じます。改めてネットで調べたところ、内藤博士の生前の活動ぶりを記録した動画が見つかりました。これは、かなり貴重な映像です。博士が亡くなったのは1970年なので、ほぼ半世紀前の映像となります。今回訪問した記念館(撮影当時は博士が暮らしていた自宅)の外観もチラッと映っています。

耐震構造の父 内藤多仲[1](youtube)
耐震構造の父 内藤多仲[2](youtube)

各地の塔を巡った思い出を振り返りつつ、内藤多仲博士記念館を後にして、いよいよ新宿区河田町の最終目的地へと向かいました。

日本人の春の風物詩といえば「お花見」ですね。
今年は例年より桜の開花時期がかなり早く、お花見のタイミングを逸してしまった方も多いかと思いますが、満開となる少し前の3月後半、東京文京区にある小石川後楽園に足を運び、日本庭園と桜の風景を鑑賞してきました。小石川後楽園へは十数年ぶりの訪問で、こちらでお花見をするのは初めての体験となります。

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小石川後楽園(園内マップ)

上記のサイトでも詳しい来歴が紹介されていますが、この庭園は江戸時代の初期、水戸徳川家の祖である
徳川頼房(よりふさ)が江戸の上屋敷の庭として造ったもので、二代藩主の徳川光圀の代に完成したものです。当時、日本に亡命していた明の儒学者・朱舜水(しゅしゅんすい)を登用した光圀は、彼の意見を取り入れて中国趣味を反映した庭園を造り上げたそうです。ちなみに「後楽園」という庭園の名称も、朱舜水の進言によるものだそうです。

朱舜水…。日本史上ではかなりマイナーな人物ですが、私にとってはある事をきっかけに知ることとなった、思い出に残る人物です。

20年以上前の大学時代のこと、歴史好きな親友に連れられて茨城県を旅行し、水戸徳川家に由来のある名所、常陸太田にある西山荘や、水戸にある偕楽園、弘道館などを色々と見学しました。そんな旅の途中、友人の案内で入った中華料理屋さんで「水戸藩ラーメン」なるものを初めて食べました。その際に友人から、「光圀に招かれていた学者の朱舜水が中華麺=ラーメンを紹介し、日本で初めてそのラーメンを食べたのが光圀だった」と教えてもらいました。

「水戸藩ラーメン」は、そのレシピに基づいて再現されたラーメンで、スープはアッサリ、ちぢれ麺とは違う独特な麺で、クコの実が乗った、確かに普通のラーメンとは微妙に異なる、初体験のラーメンでした。そんなきっかけもあって、朱舜水という人物の名前を知ることとなりました。水戸藩ラーメンについては、以下のサイトで詳しく紹介されています。

水戸藩ら~めん(水戸観光協会)
ちなみに私と友人が入ったお店は「鈴龍」さんです。

おっと…前段がグルメレポートになってしまいました。ここからが本題、当日の様子を紹介しましょう。
入口を過ぎると早速、正面に桜の樹が見えてきます。こちらはまだ五~六分咲きといった感じでした。庭園の遠方の樹々の上には、東京ドームの巨大な白い屋根が見えます。

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少し離れた場所には、園内で一番大きいと枝垂桜の巨木があり、こちらはほぼ満開に近い状態でした。見事な枝振りに圧倒されました…。

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園内は桜以外にも見所が満載です。園内の中央にある大泉水という池をグルリと回遊する形で、日本や中国の名所を見立てた鑑賞ポイントが数多く点在します。当日は園内の見所をひと通り見て廻りましたが、ここでは代表的なスポットをいくつか挙げておきます。

桜の巨木の横にある池と、そこに掛かる小さな橋。こちらの2つは、京都嵐山の下を流れる「大堰川(おおいがわ)」と、そこに掛かる名所「渡月橋」を見立てたものです。

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「渡月橋」を挟んだ反対側の池には、中国の名勝地を模した「西湖の堤」があります。

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小高い丘の上には、かつて京都清水寺を模した観音堂(清水観音堂)がありましたが、関東大震災で焼失したそうです。

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緑の中にある、朱塗りの美しい太鼓橋、京都東福寺の「通天橋」を見立てたものですね。

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園内でも特に有名な見所の一つ「円月橋」です。朱舜水の設計と指導により造られたそうです。のちに徳川吉宗が、江戸城内の庭に同じ橋を模して造ろうとしたものの結局、完成できなかったそうです。

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園内の中央を占める広大な池(大泉水)と、そこに浮かぶ蓬莱島(ほうらいじま)。島は亀の形をしていて、島の先端にある大きな黒い鏡石は庭師・徳大寺佐兵衛にちなんで「徳大寺石」と呼ばれます。

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かつて使用されていた小石川後楽園の正門です。東京ドームのすぐ横に位置する立派な門ですが、現在は使用されておらず閉鎖中です。

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ぐるりと園内を一周巡って再度、最初に見学した枝垂桜の周囲の様子をくまなく眺めると、かなり控え目気味に、少々変わった形をした石が2か所、置かれているのに気づきます。通常、園内の見所には必ず来歴を紹介した案内板が立っているのですが、これらの石には「陰石」「陽石」という名前のみが表示された小さな案内板しかなく、見過ごしてしまう人がほとんどです。

実は、陰石が女性器陽石が男性器の形を象徴しているらしく、写真を見てもらえば分かりますが(上が陰石、下が陽石)、確かにそのような形をしているのが分かります。かつて光圀は、その類の像を取り締まり、製造者や所持者を厳しく処罰したそうで、何故にそうした石像が庭園内、しかも入口付近に置かれているのか、理由がはっきりしないそうです。何とも不思議な話しですね…。

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庭園の鑑賞の様子は以上の通りですが、実のところ、お花見を楽しむ以外にもう1つ、大きな目的があって今回の訪問となりました。1月の記事で紹介した浜離宮庭園の時と同様、サイキックの小林世征さんが、この小石川後楽園のとある場所(2か所)にパワースポットが存在している、という記事が2010年の「ムー」で掲載されていました。実際にその場所にたたずんでみると、確かに足元からピリピリとした感覚がかすかに伝わってきました。

記事で紹介されていた具体的な場所をここで明示するのは控えますが、その場所で撮影した写真を挙げておきますので、関心のある方は実際に足を運んで探してみて下さい。かなり分かりにくいですが、あしからず…。

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小石川後楽園は、朱舜水という当時の最先端の知識・技術力を持ったプロデューサーなくしては完成し得なかった庭園であり、そのため、他の大名庭園には見られない数多くの特徴が残されていることを知りました。
晴天の下でお花見を楽しみつつ今回、20数年前に食したラーメンの思い出とともに、朱舜水という人物の凄さを改めて感じた次第です。


先月はブログの更新が滞ってしまったため、だいぶ日が経ってしまったのですが、今回は2月末に目黒区駒場にある旧前田侯爵邸を訪問した時の様子をお伝えします。

大学生の頃に一度、友人たちと一緒に見学した思い出があるのですが、詳細な記憶が残っていなかったこともあり、今回はしっかりと隅々まで見学してきました。加賀藩前田家の第16代当主・前田利為(としなり)の本邸として1929年(昭和4年)に建てられた建物です。この建物を巡る歴史については、以下のサイトに詳細が紹介されています。

旧前田侯爵邸(東京都生涯学習情報)

数年前、妻と一緒に初めて金沢を旅行し、加賀百万石・前田家の伝統が今なお色濃く残る歴史的な城下町の空気を堪能してきました。その前田家の流れを汲む旧侯爵の邸宅ですので、普段の私たちの日常では体験できないような空間が広がっているはず…、建物を前にして改めて期待が高まります。

侯爵邸には洋館、それに付随する和館があります。まずは洋館の裏手にある和館から…。二階建ての純和風の建物で、公開されているのは一階部分となります。門をくぐり立派な玄関から入ると、大きな畳敷きの広間が2つあります。天井のランプが西洋風で、和洋折衷な趣があります。

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広間に面して縁側があり、そこから手入れの行き届いた日本庭園を眺めることができます。縁側の真正面には、金沢の兼六園で有名な冬の風物詩「雪吊るし」が施してありました。見る人に金沢の風景を思い起こさせてくれる、何とも粋な計らいです。

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和館を後にして、次はいよいよ洋館へ。駒場の田園の野趣にあわせた、イギリスのチューダー様式の流れを汲む建築様式を特徴とした洋館です。

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アーチ状の玄関から館内に入ると、赤絨毯が敷き詰められた重厚な雰囲気のエントランスホールが目に飛び込んできます。その脇には日の光に照らされた、明るい雰囲気の応接室・サロン室があります。

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先に進むと、建物の一番奥に位置する旧大食堂に入ります。部屋の中央にある巨大なマントルピースが印象的です(実はこの洋館では建築当初からスチーム暖房を利用していたそうで、マントルピースは装飾なのだそうです…)。そして大食堂の出窓にはめ込まれた窓、格子の部分が斜めにカットされていて、まるでプリズムのように見えます。ちょうど屋外に桃の花が咲いていて、何とも美しい光景を楽しむことができました。

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赤絨毯のエントランスホールに戻り、次は豪奢な装飾が施された階段を上って2階へ。階段横の壁面に飾られた黄色いステンドグラスが、ひと際美しく輝いていました。

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2階は侯爵一家のプライベートルームが並びます。
まず、こちらが侯爵夫妻の旧寝室。昔のベッドはこんな形をしていたのですね…。

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次は旧夫人室。女性の部屋だけあって白を基調としていて、装飾の施された大きな鏡が特徴的です。かつて邸内で頻繁に開かれた晩餐会への身支度を、夫人はこの部屋でしていたのでしょう…。部屋の外にはバルコニーがあり、眼下には広場が見えます。

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次は旧書斎。書斎らしく何とも落ち着いた雰囲気の部屋です。ちなみに建設当初、邸内には電話交換機が置かれ、そのうちの一回線が、この旧書斎内に引き込まれていたそうです。当時としては最先端のツールだったことでしょう。

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多い時には何と150人(!)もの使用人が邸宅内で働いていたそうで、彼らが使用していた部屋も数多く残されていました。現在のお金持ちとは段違いのスケールの大きさです。


邸内の見学の様子は以上の通りです。今回の訪問に当っては、以前、NHKで放送された「美の壺・華族の邸宅」という番組を録画していたのをもう一度見直し、事前に予習をした上で訪問しました。

NHK 美の壺 華族の邸宅

番組では現前田家当主(第18代)の前田利祐(としやす)さんが、幼少の頃に実際に住んでいた当時の思い出を振り返りながら、邸内を色々と案内します。建物を眺めるだけでは知ることのできない、様々なエピソードが紹介され、とても興味深かったです。話しはかなり脱線しますが、現当主の前田利祐さんのことをネットで調べていると、ウィキペディアで詳しいプロフィールが紹介されていました。

前田利祐(wikipedia)

現徳川宗家・第18代当主の徳川恒孝(つねなり)さんと、かつて同じ職場で働き先輩後輩の間柄だったとは…。上記のウィキペディアに紹介されている当時の上司のコメント、何とも面白いエピソードです。

徳川恒孝さんの方はNHKの番組などで、これまで何度も目にする機会がありました。
先日もNHK・Eテレ「日曜美術館」の「天下人と天才たちの器~茶道具 超名品!驚きの美~」という番組で、ちらっと出演されていました。信長・秀吉・家康という天下人たちの手を渡り、以後、徳川宗家が代々継承してきた唐物肩衝茶入初花」を、古美術鑑定家・中島誠之助さんが鑑賞しに行くという件で登場します。
ちなみに初花は「へうげもの」の物語中にも登場した名器ですね…。

NHK 日曜美術館 天下人と天才たちの器

今まで知らなかったのですが今回、徳川恒孝さんの事もウィキペディアで調べてみたところ…

徳川恒孝(wikipedia)

元々は会津松平家の出身で、23歳の時、徳川宗家(第17代家正)の死去に伴い養子に入ったとのこと。…ということは、現在NHKで放送されている大河ドラマ「八重の桜」で一躍、脚光を浴びている幕末の会津藩主・松平容保(かたもり)の血筋を引く方に当たります。そういう繋がりがあったとは…今まで本当に不勉強でした。

洋館訪問の本題から派生して、今回も色々な事実を知ることができました。徳川家・前田家に代表される大大名家・華族の栄華は今もなお、様々な面で輝き続けている事を改めて実感しました。