明治学院大を後にし、最後に向かったのは畠山記念館です。こちらの美術館も名前だけは知っていたのですが、主に茶道具等を中心に企画展示を行う美術館で、あまり馴染のない分野ということもあって、今まで足を運ぶ機会がありませんでした。ただ、先日の記事でも書いたように、少し前から「へうげもの」の影響で、茶の湯や茶道家の歴史に興味が出てくるようになったこともあって今回、初めての訪問となりました。

畠山記念館

白金台の入り組んだ住宅街の路地を抜けると、立派な門構えの畠山記念館が見えてきます。今回は「秋季展 利休と織部」の企画展示が開催されていました。

DSCF6522_convert_20121211140346.jpg

DSCF6524_convert_20121211140211.jpg

大きな門には畠山氏の家紋(二つ引両)。かつての大名屋敷跡の雰囲気がいまだに色濃く残っていて、何とも厳かな気持ちになります。門を抜けると、広い日本庭園があり、先ほど見てきた八芳園にも劣らないくらい、美しい紅葉の景色が広がっていました。

DSCF6525_convert_20121211140415.jpg

DSCF6532_convert_20121211140550.jpg

DSCF6533_convert_20121211140619.jpg

DSCF6537_convert_20121211140700.jpg

DSCF6539_convert_20121211140725.jpg

記念館の創設者、畠山一清氏は、ポンプで有名な荏原製作所の創業者だそうで、実業の傍ら、能楽や茶の湯をたしなみ、収集した数多くの作品や茶室を備えた記念館を、ここ白金台に設立されたとのこと。かつては、現在の美術館の敷地横に、広大な庭を有した般若苑(はんにゃえん)と呼ばれる私邸(のちに高級料亭)があり、白金台の街を象徴する存在だったそうです。

庭園をひと巡りして記念館へ。さほど大きな建物ではありませんが、畠山翁の意向を反映した設計だそうで、庭園の風景に溶け込んだ、落ち着いた雰囲気の外観です。階段を上がって2Fに、展示スペースがあります。

DSCF6540_convert_20121211140751.jpg

展示作品については、上記サイトに情報が載っています。茶碗の良し悪しを語るほどの知識は身に付いていませんが、それでも、古田織部の用いた茶碗や焼物の実物を観ると、他のどれよりも形状が独特で、師匠の利休によって大成された茶の湯の形式美を、独自の感性でアレンジしようとした織部の審美眼が、作品から伝わってきました。

展示品の中でも特に気になったのが「割高台茶碗・織部所持」という茶碗です。“高台”とは茶碗の下の台座の部分で、これに割れ目が4か所入って、茶碗を引っくり返すと台座が十字のような形をしているので、「割高台」という呼び名が付いています。普通の茶碗には見られない特殊な形で、何とも“造形の妙”を感じました。さらに、この作品に強く興味が惹かれた理由がもうひとつ。展示作品の解説文によると、この高台の形状がキリスト教の十字架を彷彿とさせるものから、これを所持していた古田織部がキリシタンだったかもしれない、という「古田織部キリシタン説」です。

戦国時代、利休から茶の湯の教えを受けた七高弟の多くがキリシタン大名で、織部の妻が高山右近(キリシタン大名の代表的存在)の妹だったことからも、織部自身がキリスト教に関わっていたという説は、全くのデタラメとは思えません。

そういえば以前、毎月愛読している雑誌『ムー』に、「利休の大成した茶の湯は、キリスト教のミサを象徴したものである」という記事を読んだことがありました。ネットで改めて調べたところ、そのあたりの内容を説明しているサイトがありましたので、紹介しておきます。

キリストの福音が秘められた茶道(牛込キリスト教会)

「侘び寂び」というと、西洋人には理解しがたい極めて日本的な感覚のように思われますが、もしかすると茶の湯の大成者・利休は、西洋人の信仰の拠り所であるキリスト教的な思想を背景に、「侘び」の感覚を極めていった可能性があります。これは、私が常々関心を持っている謎学の分野にも共通して言えることです。私たち日本人が常識だと思っている古来からの歴史・文化・習慣の裏に、実は隠された真実がある、ということです。

茶の湯の文化は、まだまだ奥が深そうです。興味が尽きません。


コメント
コメントの投稿
トラックバック URL
トラックバック