先日、BS朝日で「古九谷の謎 ~神秘の色絵磁器 そのルーツは?」という番組が放送されていました。陶磁器などの焼物についてはこれまで、様々な美術館や博物館等で目にする機会があったのですが、日本各地の焼物の特徴、それらが造られた歴史的な背景については未だ不勉強な部分が多いので、こうしたテレビ番号が放送される時には、録画して内容を確認するようにしています。古九谷焼に関して私が知っていたのは、石川県で生産された焼物(磁器)であること、日本各地の焼物の中でもトップクラスの高級な焼物であること、緑色などの色彩で塗り込められた焼物であること、といった程度でした。

この番組では、「開運なんでも鑑定団」の中島誠之助さんをナビゲーター役に、古九谷焼の特徴や歴史などが様々な面から紹介されていました。古九谷の中にも「五色手」や「青手」といった色絵付けの違いがあること、焼物が造られた当時の歴史的な背景(九谷の地を治めた加賀藩、加賀大聖寺藩との関係)、古九谷焼が江戸時代の前期(1600年代の後半)の約半世紀の間に造られ、その後消滅してしまったとことなど、様々な事実を知ることができました。

その中でも大きなポイントとなるのが、古九谷焼の元々のルーツは佐賀(鍋島藩)の伊万里焼にあり、伊万里の製陶技術や素地(きじ=色絵を付ける前の無地の焼物)を取り入れることで古九谷焼が確立した、という点です。実はその背景には、加賀大聖寺藩の藩主に嫁いだ女性が佐賀藩鍋島家の出身で、古九谷が造られた当時、加賀と佐賀は姻戚関係にあったそうなのです。古九谷焼と伊万里焼に、そうした歴史的な繋がりがあったとは、全く知りませんでした。

そんな中、渋谷の戸栗美術館で「古九谷名品展」が開催中で、学芸員による展示解説日があると聞きつけ先日、美術館を訪問してきました。

戸栗美術館

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渋谷駅から歩いて10分程度の近さにも関わらず、渋谷の喧騒が信じられないくらい閑静な住宅街の中にあり、落ち着いた環境で作品を鑑賞できる美術館です。当日は私も含めて20人くらいの見学者が集まり、新人の女性学芸員の方が約1時間にわたって作品を解説してくれました。色絵付けに関わる話しやデザインの特徴など、とても分かりやすい説明でした。特に、微妙な色合いに関する説明(例えば、磁器に黒色を塗ると色落ちし易いので、黒色の上に緑色を重ね塗りしてカバーする等)などは、テレビの画面や印刷物では判別できない、実物を目にしなければ分からないことも色々あって、とても興味深かったです。

しかし、今回の「古九谷名品展」で展示されている古九谷作品の全てが“伊万里(古九谷様式) ”と表示されていました。古九谷といえば石川で造られたモノなのに、と素人目には思ってしまう訳ですが、そこには何やら複雑な事情が絡んでいるようで…。

先ほども少し触れましたが、古九谷焼の元々の産地はどこなのかを巡って、石川県の九谷か、佐賀県の有田かで争われてきた経緯があり、「陶磁史邪馬台国論争」とも呼ばれているそうです。現在、全国の美術館では、“伊万里(古九谷様式)”の表記が一般化しているようです。これに反論する形で、以下の石川県側のサイト上で、有識者の方々がさまざまな見解を示しています。

加賀の九谷 ―古九谷の真実に迫る―

今回訪れた戸栗美術館は、旧鍋島藩の屋敷跡に造られた美術館で、主な収蔵品が伊万里・鍋島などの肥前磁器を中心としていることもあって、古九谷焼を“伊万里(古九谷様式)”としているのは、当然といえば当然と言えるでしょう。一方の石川県では、古九谷焼は石川九谷が産地という姿勢を貫いていて、そうしたアピールもあって、今回放送されたテレビ番組が製作された様子が伺えます。

私自身はどちらの肩を持つわけでもありませんが、当事者の方々としてはやはり譲れない部分があるのでしょう。かつて、姻戚関係を結んで良好な関係にあった前田家や鍋島家の藩主が生きていたら、この論争をどんな気持ちで見守ることでしょうか…。

ちなみに、石川の古九谷の窯が約50年で消滅してしまった原因ですが、未だ明確な理由が判明していないそうです。今回の番組では、製陶に関わった陶工の多くが九州から逃れてきた隠れキリシタン(=島原の乱が発生する前に逃れてきた人たち)で、彼らの存在が中央幕府に発覚する前に、加賀藩がその事実を隠蔽するため窯を廃止した、という説が紹介されていました。同時に、古九谷焼の作品の中に、キリスト教にまつわる事物を皿絵のデザイン中に忍ばせたものがある、とも紹介されていました。ネットで調べたところ、今回の番組で取り上げられていた皿絵について、詳しく解説したサイトがありましたので、紹介しておきます。

古九谷キリシタン 隠し絵(ダブルイメージ)

先日の記事で書いた茶の湯の大成者、千利休や古田織部がキリスト教徒だったというエピソードと、はからずもシンクロしてしまいました、不思議な話しです…。
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