喫茶店で休憩した後、そこから少し歩いた先に坂道があり、しばらく坂を上った所に「指月殿」があります。鎌倉二代将軍の源頼家の冥福を祈って、母の北条政子が建立した経堂で、伊豆最古の木造建築だそうです。お堂の中を覗くと、立派な釈迦如来像と仁王像が安置されています。指月殿のすぐ傍にある高台には、源頼家の墓もありました。父である頼朝亡き後、頼家は北条氏との権力闘争に敗れ、幽閉されたここ修善寺の地で暗殺されました。何とも悲しい宿命を背負った人物です。

DSCF6934_convert_20130113000119.jpg

DSCF6937_convert_20130113000217.jpg

DSCF6938_convert_20130113000245.jpg

DSCF6947_convert_20130113001521.jpg

次に向かったのは、修禅寺の町中にある「とっこの湯公園」です。ここには「弘法の湯」があったり、「湯掛け稚児大師像」がありました。稚児の像にお湯を掛けると病気が治癒されるそうで、願いを込めながらお湯を掛けさせてもらいました。

DSCF6953_convert_20130113001636.jpg

DSCF6954_convert_20130113000555.jpg

DSCF6956_convert_20130113000619.jpg

公園を後にして最後に向かった場所は、修禅寺のほど近くに鎮座する「日枝神社」です。この神社もやはり、弘法大師が建立に関わり、もとは修禅寺の山王社(鎮守)だったそうですが、明治時代の神仏分離令によって日枝神社として分かれたそうです。御祭神は神社の名前が示す通り、比叡山延暦寺の山王社、日吉大社の御祭神である大山咋神(おおやまくいのかみ)です。

この神社を訪れるのは今回が初めてだったのですが、鳥居をくぐるなり、境内にある数多くの巨木に圧倒されました。巨木に囲まれるように建つ社も、風格のある立派な造りでした。観光客の多い他の修善寺の名所と比べても、この場所は明らかに空気感が違う、何とも荘厳な雰囲気が漂っていました。

DSCF6963_convert_20130113000813.jpg

DSCF6967_convert_20130113001110.jpg

DSCF6979_convert_20130113001337.jpg

DSCF6971_convert_20130113001213.jpg

DSCF6970_convert_20130113001356.jpg

それにつけても修善寺は、弘法大師(空海)に由来する場所が多くあることを、改めて認識しました。私の実家の宗派は真言宗ではないのですが、大学を卒業するまで親と暮らしていた東京足立区の実家の近くに、関東三大師の一つ「西新井大師」がありました。

西新井大師

日頃からお大師様を訪れることも多く、昔から弘法大師の存在を身近に感じていたこともあって、修善寺の街を歩いて、どこか懐かしいような感覚を覚えました。
そういえば、このブログを書いていて、私の地元の「西新井」という地名が、弘法大師に由来していることを思い出しました。

かつてこの地を訪れた弘法大師が、当時、疫病に苦しんでいた村人達を救うため、自ら観音像を造り祈祷を行なったところ、枯れ井戸から清らかな水が湧き出して病はたちまち平癒し、その井戸がお堂の西側にあったことから「西新井」の地名が付いた、という伝説です。先ほど紹介した「独鈷の湯」の由来と、全く同じようなエピソードです。これも何かの偶然なのでしょうか…。

冬晴れの中、修善寺の素晴らしさを存分に満喫することができた一日でした。
帰途、伊豆箱根鉄道の車窓から見えた雪を被る富士山の雄姿が、とても印象的でした。
コメント
コメントの投稿
トラックバック URL
トラックバック