(前回の続き)

鎌倉文学館

高徳院の大仏さまを後にして次に向かったのは、同じく長谷にある鎌倉文学館です。実は今回の鎌倉散策、一番の目的地はココでした。銭洗弁財天や大仏さまと比べて見学客はごくわずかで、とても落ち着いた雰囲気の中で見学することができました。本当に「穴場」といった感じの場所です。

鎌倉文学館
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ここは鎌倉にゆかりのある数多くの作家・文学者に関する資料を展示した施設なのですが、私が是非見てみたかったのは、文学関連の展示物ではなく、実は文学館の建物の方でした。

先日の記事(4/3)で、目黒区駒場にある旧前田侯爵邸、前田家16代当主の前田利為(としなり)が造営した和洋館を紹介しましたが、今回訪れた鎌倉文学館は元々、駒場の本邸建造から数年後に利為が鎌倉長谷にあった前田家の別邸を、全面改築して建てた西洋館でした。先日の前田侯爵邸訪問の後、関連情報をネットで色々と調べていたところ、現在の鎌倉文学館が前田家と関連のある建物だということを初めて知りました。

それから今回、この建物を訪問したかった別の理由がもう1つあります。
今年初め、フジテレビで市原隼人主演のドラマ「カラマーゾフの兄弟」が放送されていました。

カラマーゾフの兄弟(フジテレビ)

毎週、ドラマを見ていたのですが、悪の権化のような父親と、父への憎悪を抱く3人の兄弟が暮らす豪邸として、鎌倉文学館の建物(外観と庭園)がロケ場所として使われていました。ほぼ毎週、邸宅の風景がテレビ画面に映し出されていたこともあって、是非一度、実物の建物を間近で見てみたい、という気持ちもあって今回、念願叶っての訪問となりました。ドラマではカラスが群れる不気味な館という設定でしたが…。

緑に囲まれた石畳の坂道を上がり、正門と受付を通って先に進むと、小さなトンネルがあります。この坂やトンネルも、ドラマの中で3人の兄弟たちが何度も通っていた場所でした。

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さらに坂道を上ってゆくと、その先に文学館の建物がいよいよ見えてきました。初物にお目にかかる瞬間は、いつも胸が高まります。

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まずは文学館の館内の見学から…。南向きに面した明るい部屋、そこから臨める緑の広い庭と、はるか前方に見える海の眺望が最高です。床のモザイク模様や飾り窓の装飾など、館内の随所に華やかなデザインが施されていて、その中でも特に、各部屋の壁にはめ込まれた、様々な色ガラスで構成されたステンドグラスがひと際、目を引きました。

何とも素晴らしい館内の様子ですが、こちらの文学館は館内の写真撮影がNGのため、残念ながら今回は“心のフィルム”に思い出を記録してきました…。ちなみに館内の入口付近に「カラマーゾフの兄弟」のポスターも貼ってありました。


館内の見学を終えたあと、今度は屋外に出て建物の外観をじっくり見学。建物は3階建てで、1階は鉄筋コンクリート造、当時鎌倉の別荘建築物に多用されたタイル貼りの外壁が特徴なのだそうです。2階・3階は木造、張り出しの出窓、半円形の欄間の飾り窓、ベランダの手摺など洋風のデザインが施されていますが、瓦葺の屋根や深い軒(のき)の形状など和風の特徴も見られ“和洋折衷”的な建物です。

まず建物の北側に回って外観を見学。丸窓の飾りが何とも洒落てます。関係者専用の入口の脇には、何やら立派な文字が刻まれた金属板が置かれていました。

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次は開放的な芝生の広がる南側のお庭に出て、建物の正面を鑑賞しました。本当に風格のある、鎌倉の地に相応しい洋館です。

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広い庭の先にはバラ園があり毎年5~6月には「バラ祭り」が開催されるそうです。バラの花が咲き誇る季節に、改めて訪れてみたいものです。そんな気持ちにさせるほど、この館には人を惹き付ける魅力があります。

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ちなみに、文学館に至る石畳の坂道が始まる所に、立派な門構えの大きなお屋敷があります。何気なく表札を見ると「前田」というお名前が…。門の奥には桜の花が満開でした。



鎌倉文学館を後にして次の目的地に向かう道すがら、鎌倉の老舗店「こ寿々」に立ち寄り、名物のわらび餅を頂きました。やはり鎌倉に来たからには、甘味を欠かすことは出来ません。

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鏑木清方記念美術館

最後に向かったのは、鎌倉観光の中心地、観光客でごった返す小町通りを一歩路地に入った場所にある、
鏑木清方記念美術館です。

鏑木清方記念美術館

明治期の日本画家の中でも、特に清方は昔から大好きな画家の1人で、こちらの美術館も初めての訪問となります。かつての自宅を改装した美術館と聞いていたので、かなりこじんまりした美術館なのかな…と勝手に想像していたのですが、天井の高い展示スペース以外にも、映像ブースや庭に面した休憩スペース、それに清方が利用していた画室などもあって、十分に清方の芸術を堪能しました。かなり以前、展覧会で見て印象に残った「嫁ぐ人」「一葉女史の墓」などの作品も、久しぶりに鑑賞することができました。

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美術館を鑑賞し終え、鎌倉駅に向かう小町通りの雑貨店で、ある商品を見つけてお土産に買いました。
「モヤモヤ~」としたあの番組を見ている方なら、きっとご存じですよね?

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本当に見所の多い鎌倉、季節の良い時期にまた改めて訪れてみたいと思います。

4月の初め、古都・鎌倉をぶらりと散策してきました。同じ神奈川県内に住んでいるにも関わらず、東京に近い港北ニュータウンで生活する私にとって、小1時間かけて鎌倉に行くのは“小旅行”といった感じで、これまで足を運ぶ機会がありませんでした。このブログを開始する直前、半年ほど前に、十数年ぶりに鶴岡八幡宮を中心に散策したのですが、今回はその時に見学できなかった箇所を中心に見て廻りました。

銭洗弁財天宇賀福神社

鎌倉の名所旧跡の中でも、特に金運にご利益があるということで老若男女問わず、非常に人気のある場所ですが、今回が初めての訪問となります。急な坂道を上った所に、社名を刻んだ立派な石板と鳥居があります。真っ暗な手掘りのトンネルを進んだ先に境内があります。何とも雰囲気があります。

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中に入ると鳥居が並び立ち、それほど広くない敷地内にかなり多くの参拝者がいて、境内は熱気にあふれていました。

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社務所で受付をしてローソクとザル(お金を洗う時に使う)をもらい、まずは本社の宇賀福神社で参拝を済ませます。押すな押すなの混雑ぶりです。

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その後、社のすぐ横にある、奥宮とよばれる洞窟に入り、そこに祀られている宇賀神・弁財天へお参りしたあと、銭洗いを行います。ザルにお金を入れて湧水の清水で洗いますが、今回は千円札を洗いました。どうか金運が上昇しますように…。

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境内には他にも小さな神社が幾つかあり、そちらも併せて参拝しました。小さな滝が流れ落ちる池の水がとても澄んでいて、沢山の鯉たちが優雅に泳いでいました。

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銭洗弁財天に祀られている宇賀神ですが、「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」に由来するものとされ、その姿はとぐろを巻く蛇の体に、老人や女性の頭を持つという、異形の神様として知られています。仏教の弁財天と神仏習合して「宇賀弁財天」とも呼ばれるようになりますが、今回、境内を何気なく歩いていると、ある石版を見つけました。これぞ、宇賀弁財天の姿を表したものですね。他の神社では、なかなか見る機会のない代物ですが、ほとんどの参拝者の人たちは全く目にも留めない様子でした。

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鎌倉大仏高徳院

銭洗弁財天から歩いて20分少々の距離ということもあり今回、十数年ぶりに大仏さまのお姿を拝みに行きました。それにしても先ほどの弁財天とは違い、こちらは見学客の7~8割が外国人の観光客で、さすが鎌倉随一の観光名所だと実感しました。そういえば受付で入場券を買う際にも、女性の係員に「one(1人)?
と英語で尋ねられ、一瞬、返答に窮してしまいました。

高徳院は浄土宗の寺院、大仏は銅製の阿弥陀如来坐像で勿論、国宝に指定されています。後世の補修が多い奈良・東大寺の大仏に比べて、ほぼ造像当初の姿を保っています。かつては大仏を覆う大仏殿が建てられ、室町時代に発生した地震と津波の影響で倒壊したと伝えられえいますが(=私もその認識でいましたが)、実際のところ、地震が発生する以前から、すでに大仏が露地の状態だったという記録が残っているそうです。鎌倉大仏を巡る歴史に関しては、意外にも不明な点が多いのだそうです。

大仏様のお姿です。やや猫背気味ではありますが、堂々とした風格が感じられます。

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今回、初めて大仏様の内部を見学しました。階段を降りて薄暗い胎内へ。頭と胴体をつなぐ首の部分(茶色の丸い部分)は、頭の重さを支えるために強化プラスチックで補強されているそうです。大仏さまの背中にあった明りとりの扉も、中から見たらこんな感じでした…。

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高徳院の大仏さまをゆっくり見学した後、今回の鎌倉散策の一番の目的地へと向かいましたが、少々長くなりますので、続きは次回ということで。

(前回の続き)

1階の見学を終えて2階に上ると、小部屋が幾つかあります。かつては使用人が住んでいたそう、現在はブライダル時の新郎・新婦の控え室として利用されています。部屋の片隅に置かれた中国・清朝風のド派手な調度品に、思わず目を奪われました。

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2階の中央を貫く廊下の先には、開放感たっぷりの屋上が広がっています。屋上の一部には芝生や小さな花畑があり、まさに「空中庭園」といった趣です。屋上にある藤棚はパラーゴと呼ばれるもので、設計図や竣工当時の写真を元に復元されたものだそうです。

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屋上から見下ろした庭園の眺め、そしてエメラルドグリーンのスペイン瓦の屋根です。

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屋上の床面に敷き詰められた独特なデザインのタイルは、竣工当時のものをそのまま使用しているそうです。

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スペイン建築の特徴のひとつであるパティオ(中庭)が邸内の中央部にあります。階段を通じて屋上と地上がつながっており、上下を自由に行き来できる導線となっています。日差しが豊かな南国スペインならではの建築様式ですね。

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そのパティオの奥には、岩場の水に手を浸す女性像があります。この像は当主(小笠原長幹)本人が製作したそうです。長幹は芸術に対する造詣が深く、彫刻家の朝倉文夫に師事していた経歴を持つそうです。
朝倉文夫…私の通っていた大学の構内に朝倉の作品がありました。それに台東区谷中にある朝倉彫塑館、東京の実家からそう遠くない場所にあったので、何度も足を運んだ馴染みの場所でもあります。小笠原伯爵邸は「小鳥の館」ですが、朝倉の邸宅はまさに「猫の館」でした。

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パティオの一画、階段下にある扉にも、女性のレリーフがはめ込まれています。こちらは、かつて撮影された写真を元に、イタリアで復元製作された作品だそうです。

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パティオから再び邸内に入り、まだ撮影していない見所があることを思い出しました。長年にわたり破損を免れて残った照明器具です。小笠原家の家紋「三階菱」の文様がデザインされており、邸内で三階菱の家紋が残っているのは唯一、このランプだけだそうです。しかし、このランプが何処にあるのか場所が分からず、結局、館内の女性スタッフに尋ねたところ、「見学者は立ち入り禁止の物置部屋にあります」と告げられました。

ガ~ン。「そうなんですか、残念です…」と肩を落とした私の姿を見て、何とその女性スタッフが、私のデジカメを持って物置部屋に入り、私に代わって写真を撮ってきてくれたのです!こんな対応をしてくれるとは、涙が出るくらいに感激しました…。伯爵邸の見学者の中でも多分、このランプを撮影した人はほとんどいないはずです。

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邸内をひと通り見学し終えたあと、今度は建物の外観と庭園の様子を見るため屋外に出ました。

玄関を出るとすぐ、何やらをモチーフにした石版があるのに気づきました。烏帽子(えぼし)を被り、御幣(ごへい)を持った姿です。以前の記事にも書いた通り、私自身、申年生まれということもあって、動物の中でも特にお猿さんが大好きなのですが、鳥好きな小笠原伯爵が何故、猿をモチーフにした像を壁面に嵌め込んだのか、見当がつきませんでした。

しかし、先ほど館内の受付でもらったパンフレットの説明を読んで納得…。これは鬼門除けの石版なのだそうです。石版がある場所が、ちょうど邸宅の北東の角、いわゆる「鬼門」に位置しており、日吉大社の眷族(けんぞく:神様の使いの動物)である猿の像が配置されているとのこと。日吉大社(山王社)のある比叡山は、平安京の北東(鬼門)に位置し、都に降りかかる災厄を防ぐ役割を担っていたことから、山王社の使いである猿が鬼門封じの象徴として用いられた、という訳ですね。
「神社検定」で勉強した知識が活かされました…。

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邸宅の横道を進んで歩いて行くと、その奥に庭園が広がっています。手入れが行き届いた綺麗なお庭です。水は出ていませんでしたが庭園の中央にある噴水、こちらにも鳥の姿が施されていて、台座の部分には優雅な白鳥の姿も見られます。

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庭園の一画には、鶏をモチーフにした大きな窯が置いてあります。こちらは新しく造られた物だそうで、建物の修復時、かつて地下にあったボイラーの鉄釜を再利用して製作されたとのこと。本当に鳥づくしの館です。

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庭園側から眺めた邸宅の外観です。何と言っても、シガールームの半円形の外壁部分に施された装飾の素晴らしさに圧倒されます。古磁器の色使いにおいて日本の第一人者と言われる、小森忍の作品だそうです。
中央に太陽が輝き、花々が散りばめられた構図で、「生命の賛歌」がモチーフだそうです。改修以前、1600のパーツの殆どが剥がれ落ちていたものの、当時の色タイルの発色を一枚一枚確認しながら焼き上げ、往時の姿に戻したとのこと。あまりの素晴らしさに、夢中で写真を撮り続けました。

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そのシガールームの外壁の一部に、定礎版がはめ込まれています。古代ギリシアの建築現場の風景を彷彿とさせるような、とても洒落たデザインです。
陶板製の定礎版で、板面には「Sone&Chujo,ARCHITECTS.1926.A.D. 」とあり、曽禰中條建築事務所の設計であることが示されています。自分の建築作品に自分の名を入れることを殆どしなかったという彼らが、このような立派な定礎板を造り、最も目立つシガールームの外壁にはめ込んだのには、それだけ強い思いがこの邸宅の設計に込められていたのでしょう。定礎版それ自体が、ひとつの芸術作品です。

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以上が小笠原伯爵邸の見学の様子です。私自身、これまでかなり多くの近代建築・西洋館を見学してきましたが、今回は久しぶりに興奮しました。スパニッシュ様式という独特の建築様式もさることながら、一時は取り壊しの危機に瀕した建物を、多額の改修費用を負担して往時の姿に復元した、現在邸内でレストランを運営している民間企業の熱意と本気ぶりに心底感服しました。

建物も一流なら、お食事も一流。今度はぜひ妻を連れて、この美しい洋館でディナーを堪能してみたい…。
そんな思いを抱きつつ、家路につきました。

内藤多仲博士記念館を後にして向かった先は、若松河田町駅のすぐ近くにある小笠原伯爵邸です。
以前から噂に聞いていた歴史的な建物で、機会があれば一度訪れてみたいと思っていた憧れの場所です。

小笠原伯爵邸

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伯爵邸は現在、スペイン料理の専門店として利用され、ミシュランガイドで毎年を獲得するほどの高級レストランとして知られています。通常、食事の利用者でないと入館できないのですが、先月、たまたま同店のHPを覗いていたところ「小笠原伯爵邸内公開日のご案内」のお知らせが…。このチャンスを逃す手はない!ということで、すぐに申込み手続きをして今回、念願叶っての初訪問となりました。

上記のサイト内でも紹介されていますが、この建物は小笠原家第30代当主の小笠原長幹(ながよし)伯爵の本邸として造られました。小笠原家といえば豊前小倉藩主、この邸宅の敷地もかつて小倉藩の下屋敷があった場所だそうです。小倉といえば十年以上前に一度、訪問したことがありますが、数か月前、私が毎週観ているBS朝日「城下町へ行こう」で小倉の城下町が放送されていました。

歴史発見・城下町へ行こう 小倉の城下町(BS朝日)

番組では、江戸時代初期より小倉藩を治めた初代藩主、小笠原忠真(たたざね)のエピソードが紹介されていました。忠真は、父方の曽祖父が徳川家康母方の曽祖父が織田信長という生粋の血筋で、九州探題の任を受けて西国の外様大名の監視を行い、幕府公認の大型軍用船を保有して小笠原水軍を指揮した強者だったそうです。

それから番組では、小笠原家に伝わる「小笠原礼法」が紹介されていました。それまで私自身、礼法の事についてはほとんど知識がなかったのですが、日本人の生活に根付いているさまざまな所作・作法・マナーの中に、小笠原流礼法の影響があることを知りました。例えば、日本の道路が左側通行なのは、小笠原流礼法の影響によるものだそうで(=左側の腰に差した刀が、道ですれ違い様にぶつからないように左側を歩く)、礼法の奥深さの一端を知ることができました。

小笠原流礼法

伯爵邸の設計を担当したのは曽禰中條建築事務所で、昭和2年(1927年)の竣工。曽根中條事務所といえば港区三田の慶応義塾大学図書館が有名ですね(ちなみに図書館内には、小川三知のステンドグラスがあります)。曽禰中條事務所は、曽禰達蔵と中條精一郎の共同経営の事務所でしたが、色々と調べたところ、曽禰達蔵は小倉藩の分家にあたる唐津藩の出身だそうです。そんな繋がりもあって、邸宅の設計を担当したのでしょうか…。

建物は当時流行したというスパニッシュ様式を特徴としています。戦後、邸宅はさまざまな用途に利用され、一時は解体の危機に瀕したものの大規模な修復工事を経て、かつての伯爵家の栄華が再現された非常に稀有な建物です。


前段が少々長くなりましたが、それでは邸宅の様子をお伝えしましょう。
正面玄関の真上には、テラコッタの装飾と、ブドウ棚をデザインしたガラス製のキャノピーがあります。曲線が美しい装飾的な意匠です。入口の脇では、鳥をかたどった植木がお出迎えしてくれます。何ともユーモラスです。

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エントランスの扉上部にも鉄製の装飾が施されており、鳥カゴに入った小鳥がデザインされています。邸
内には随所に小鳥のモチーフがあり、別名「小鳥の館」とも呼ばれていたそうです。

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玄関ホールに入ると、天井にある美しいステンドグラスが目に飛び込んできます。青空を飛翔する鳥の群れの姿、遠近法を用いた珍しい構図となっています。これが小川三知がデザインしたステンドグラスです。かつて邸宅内で撮影したステンドグラスの写真を参考に、イタリアで忠実に復元製作されたものだそうです。この作品に込められた様々な人たちの思いが伝わってきます。

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玄関ホールの受付で、邸内の詳しい説明が記載されたパンフレットをもらった後、まず最初に入った部屋は、かつての伯爵家の正餐用の食堂です。中央にある大テーブルは当時、伯爵家で実際に使用されていたもので、唯一現存する家具だそうです。何ともシックな落ち着いた空間です。

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食堂の隣には、かつて応接間として利用された部屋があります。家具や照明器具をヨーロッパから取り寄せ、当時のままに再現されているそうです。私も含めて見学者の多くが、この部屋のソファに座ってくつろいでいました。自然とそんな気分にさせてくれる、何とも優雅な空間でした。

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この部屋の窓の一画には、小川三知がデザインしたもう1つのステンドグラスが残っています。こちらは、小花を吹き寄せたような可憐なデザインで、白を基調とした明るい部屋の雰囲気にピッタリの作品です。窓の手前には、さりげなく小川三知の本が置かれていました。何とも粋な計らいです。

「日本のステンドグラス 小川三知の世界」

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応接間の更に奥に進むと、この邸宅の一番の見所とも言われるシガールーム(喫煙室)があります。
この部屋だけは、まさに“別世界”といった印象でした
床・天井・扉・壁面・調度品に至るまで、イスラム風のデザインが散りばめられています。ヨーロッパで愛用された煙草や葉巻がトルコやエジプトから入ってきたことから、当時の西洋館の喫煙室はイスラム風に造るのが習わしで、紫煙が漂う中、男性のみが語らう憩いの場所だったそうです。私は煙草は吸いませんが、この場所にいると何故だか葉巻を手にしたい気持ちになりました…。

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現在、レストランのテラス席として利用されている空間は、かつてはベランダだったそうです。庭に面した眺めの良いスペースで、ごく身内で食事をする時にも利用された場所だそうです。テラス席の横には、レストランのメインルームが広がっています。

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1階の主な部屋を見学し終え、次に2階に上ろうとしたところ、邸内の奥まった場所に、赤い2つの扉があるのに気づきました(勿論、立ち入りは禁止です)。こちらのお部屋で小笠原流礼法の授業が行なわれているそうです。上で紹介した小笠原流礼法のHPでも紹介されていますが、敬承斎さんは女性初の宗家なのだそうです。見目麗しい方のようですね…。

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階段を上がって2階へ向かいましたが、まだまだ見所が盛り沢山のため、続きは次回ということで…。
(続く)

先日(3/28)の記事の最後でチラッと事前予告していましたが、3月末に新宿区河田町にある歴史的な建造物を見学しに行きました。その見学記については次回の記事で詳しく紹介しますが、訪問に先だって周辺の情報をネットで事前に調べたところ、今回の目的地のすぐ近くに内藤多仲博士記念館があることを知りました。記念館といっても通常は非公開、通り沿いから建物の外観を見学できるとのことだったので、写真だけでも収めておこう…ということで、足を運んできました。以下、その時に撮影した写真です。

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見ての通り、取り立てて特徴のある建物ではありません。ただ、私としてはどうしても、内藤博士が実際に暮らしていた自宅の様子を、この目で見ておきたかったのです…。

内藤多仲(ないとうたちゅう)… 知る人ぞ知る“塔博士”ですね。恥ずかしながら、博士については数年前まで名前さえ知らなかったのですが、以前、偶然に見たテレビ番組でその業績が取り上げられたのを通じて知りました。以降、いろいろな資料や書籍を通じて、戦後の建築(特に耐震構造建築)に多大な貢献を果たした人物であることを学びました。博士の経歴や設計物について、ウィキペディアで詳しく説明されています。

内藤多仲(Wikipedia)

1950~60年代にかけて、日本の主要な大都市に建造されたタワーは、ほとんどが内藤博士の手によるものです。なかでも、東京タワーを筆頭に、全国に残る内藤博士が設計した6つのタワーを「タワー六兄弟」と呼ぶそうです。私自身、ここ数年の間に全国各地を訪れる機会があり、それらのタワーの多くを見に行ったり、実際に展望台まで上って眺望を楽しんできました。今回、せっかくの機会なので、それぞれのタワーを訪問した時の思い出を振り返ってみたいと思います。建造年の古い、六兄弟の長男から順を追って紹介しましょう。

六兄弟の長男 名古屋テレビ塔(1954年、180m)
2012年9月、名古屋旅行の際に昇ってきました。訪問した少し前、塔が全面的にリニューアルされたらしく、予想以上に綺麗だった印象があります。展望フロアの上の階にあがると、一面金網で覆われた屋外に出られる屋上があり、かなり衝撃的でした。

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六兄弟の次男 大阪通天閣(1956年、103m)
2010年6月、大阪旅行の際に昇ってきました。実際に展望フロアに昇ってみると分かりますが、塔が微妙に揺れているのが感じられ、一瞬、背筋が寒くなった記憶があります。通天閣名物、ビリケン像の足の裏も撫でてきました。通天閣の下を通る商店街、浪速独特の濃~い雰囲気を漂わせていました。

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六兄弟の三男 別府タワー(1956年、90m)2011.09.28
2011年9月、九州旅行で大分・別府を訪れた際に見に行きました。私も含めて、関東圏に住む人にとっては、かなり馴染の薄いタワーかと思います。別府を訪れたのはその時が初めてで、せっかくの機会なのでタワーに昇ろうと足を運んだところ、衝撃の展開が…。何と、訪問した日(水曜日)は展望台が定休日とのことで、タワーに昇ることができませんでした。本当に残念…。ちなみに、別府タワーの公式サイトを覗いてみたところ、内藤博士の業績が動画で紹介されていました。タワー六兄弟の中でも、内藤博士を最もインスパイアしている様子が伝わってきます

別府タワー

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六兄弟の四男 さっぽろテレビ塔(1957年、147.2m)2007.8.25
2007年8月、北海道旅行で札幌を訪れた際に昇りました。テレビ塔に昇ったのは夜の時間帯で、塔の真下を貫く大通り公園や、その先にある大倉山ジャンプ台など、札幌市内の夜景を堪能しました。タワーの外観のライトアップも時間によって変わり、とても美しかった記憶があります。

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六兄弟の五男 東京タワー(1958年、332.6m)2013.02.01
長年にわたって自立式電波塔として日本一の高さを誇った、東京を象徴するタワーです。あえて説明するまでもありません。内藤博士の代表作とも言える超高層建築物ですね。2013年2月、少し前のブログの記事にも書いたように、芝公園周辺を散策した際に近辺を歩き、タワーの雄姿を撮影しました。

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六兄弟の六男 博多ポートタワー(1964年、100m)
これまでに博多は3回ほど訪問した機会があるのですが、この六男のタワーだけは残念ながら、きちんと見学した機会が一度も無く、他の兄弟たちのように思い出を語ることができない状況です…。いつになるか分かりませんが先々、福岡を訪れる機会ができた暁には、しっかりとタワーを見てきたいと思います。


内藤博士の業績を知るにつけ、博士はもっと多くの人に知られて然るべき人物だと、つくづく感じます。改めてネットで調べたところ、内藤博士の生前の活動ぶりを記録した動画が見つかりました。これは、かなり貴重な映像です。博士が亡くなったのは1970年なので、ほぼ半世紀前の映像となります。今回訪問した記念館(撮影当時は博士が暮らしていた自宅)の外観もチラッと映っています。

耐震構造の父 内藤多仲[1](youtube)
耐震構造の父 内藤多仲[2](youtube)

各地の塔を巡った思い出を振り返りつつ、内藤多仲博士記念館を後にして、いよいよ新宿区河田町の最終目的地へと向かいました。